大谷関連のニュースばかり目につき

ついつい読んでしまいます。

 

ですが、推測が多いんですよね。

事実は書いて無く、

そんなはずはないだろうという

論調で、勝手に話が進んでいくという。

 

読み進めているうちに大谷が

さもそれをやったような錯覚に陥るんですね。

 

大谷の個人口座のパスワードなどを知って

いなければ送金は出来ません。

 

一般的に、そのような情報を知らない人に

教えることはないと思います。

だから大谷自身が事実を知りつつ

自分で送金したんだと推測している記事も

目にしました。

 

ですがあの通訳は数年にわたりほとんどの

時間を共にしていたと言います。

グルメ情報や暮らすためのあらゆることを

通訳と共有し情報を得ていたようです。

そんな所謂女房役だったと言います。

 

そのような状況であれば、ネットの買い物など

をするために送金の必要などがあるわけですから

(例えば税金の支払いなども)じゃあ送っといて

と、送金のために必要な情報を伝えてあった

としても特段不思議なことでもない、と

考えることもできます。

 

数億円にアクセスできる状況にあったのは

大谷にその意識がなかったからではないでしょうか。

 

彼の興味は野球にあり、金にはそれほど

関心がないような気もします。

 

特に大谷に関心があるわけでもなく

弁護する必要もないわけですが

なんとはなしにこんなことをつらつら

書いているということ自体、

どんだけ色々な記事を読まされているんだ

ということですが。

 

確かなことは人は裏切るものであるという

ことであり、盗られた金は戻らないのでは

ないだろうか(これが意外とどこにも書いてない

のが不思議ですが)ということですが。

 

またあの報道のあと以降、大谷に快音が

聞かれないような気がするのですが

気のせいであればよいですが。

 

このニュースは今後当分続くと思われますが

僕はもう少し楽しい心持ちになる

音楽を聴きそこに身を置きたいものです。

 

 

 

そういえば、昨日買った豚肉の

超薄切りスライスは美味しかった。

はらはらと紙のような厚さにしてあるんですが

その食べ心地は絶品でした。

 

昔焼肉のタレの宣伝文句に

「安いお肉でいいんです」というのが

ありました。このタレさえつければ

どんな肉でも美味しく食べられますから

ということですが、まさにそんな感じ。

あの薄さであれば安いお肉でいいんです。

溶けるような食感で食べることが出来ますから、

ということになるのではと思ったりしました。

 

美味しいものと素敵な音楽は

人を今よりずっと元気にしてくれる。

そんなものではないでしょうか。

 

ちゃんちゃん、ということで。

 

3月28日 更新

 

金曜に一時雨のマークはあるものの

今後一週間は基本天気が良い予想です。

青い空をずっと目にすることが出来るのは

冬に慣れてしまった体には心地の良い

ことです。

 

大谷ですが、この演出にはグッときますね。

ですが打てていません。
そういえば張本が絶好調の大谷に対するコメント
としてこのままでは打てなくなると解説
していたことがあります。
 
確かかかとの位置がどうのという
話だったと思いますが。
 
とにかく最近は三振が多くて残念です。
 
お風呂にでも愛犬とじっくりつかって
リラックスしてみてはどうでしょうか?
 
木曜日は
チョコとクルミのクッキー
食パン
となります。
 
3月29日 更新
 
クロワッサン
アップルデニッシュ
(青森産 リンゴ使用)
 
メロンクリームのワッフルサンド
同じく抹茶 
 
3月30日 更新
 
バタークロワッサン
アンドーナツ
ハムコーン
など定番
 
風味の良いストレート製法の
食パン 甘すぎずトーストすると
フンワリと焼きたてが戻ります。
 
 
栗アン
無添加素材白あん
 
ハムコーン
春巻きチーズ
など
朝仕込みふんわりもちもち生地にて
作り上げています!
 
3月31日 更新
 
本日は定休日となります。
 
昨年の6月頃からだったでしょうか。
白と薄茶色の毛色をもった大きな猫ちゃんを
見かけるようになりました。
 
どういう理由なのかは分かりませんが、
手に負えなくなった飼い主により手放され
放浪の日々を送ることになったようです。
 
彼(あるいは彼女)は定期的に姿を見せ、
車の下でしばらく休んだりしたのち、
どこかへいってしまいます。
 
僕はある日見かけたついでに、ウインナーを
あげてみました。すると警戒しつつも食べて
くれました。このお互いの気まぐれが
彼(彼女)との始まりだったのです。
 
 
夏の始まりは僕のスタートも早めでした。
朝4時20分頃店に着くと彼は(取り敢えず彼と
呼ぶことにします)少し離れた、誰が来るのか
見渡せる場所で、佇んでいるようになりました。
 
誰だか分かるように、目印として遠くから手を振り
安心させてあげるようにしました。
猫の視力はそんなに良くは無いと言います。
暗闇で光を感じる能力は人をはるかに凌駕する
そうですが(だから暗闇でもよく見える)
誰であるかを知らせることは大切なことであると
思ったのです。
 
やがて、誰も見かけることの無い時間に、
僕が毎日現れることを覚え、僕が来ると
近づいてくるようになったのです。
 
厨房の外で彼は、きちんとした姿勢で座り、
何か出してくれるのを礼儀正しく待っています。
 
ただの野良猫とは違う、気遣いや品位というもの
を確かに感じるのです。長い間人と暮らし、
ご飯の準備をおとなしく待つことが出来る、
そんな、そういう意味では猫らしくない
身にまとった気品のようなものがあるのです。
 
そうやって僕らは日々をおくることになったのです。
 
食べ物もウインナーだけでなく「猫専用総合栄養食」
にグレードアップし、それに独自のアイテムを
付け加え、食べてくれれば約束としてつける
ことにしました。
 
ねこはたまに気まぐれでしばらく姿を見せなく
なったり、悪天候ではそれを避けるため
来ない日もありました。
 
それでも冬になって凍り付くような日に
現れたり、小雪の舞う日にも頭に雪を乗せて
姿を見せることもありました。
 
会うタイミングが悪く足跡だけが雪に
付いていたこともありました。
 
色々状況として変わることもあったのですが、
彼は僕のことを忘れ、姿を見せないということは
ありませんでした。
 
それがここ、20日間ほどでしょうか、
見かけなくなったのです。
寒さをしのぐことが出来ず、冬を越すことが
出来なかったのかと思ったりもしました。
 
厳しい冬を越すことが出来るかどうかは
外で暮らす動物たちにとってはきつい試練です。
 
でもそれさえ乗り越えることが出来れば
また暖かい季節に巡り合うことが出来ます。
 
どこでどうやって寒さをしのぎ、冬をやり過ごしたのか
それを知ることは出来ませんが、昨夜久しぶりに
彼に出会うことが出来たのです。
 
夜の10時頃厨房のドアを開けると、
遠くで待っている(と思われた)彼の姿を
目にしたのです。
 
灯りが灯っているのを見て、やがて出てくると
彼は待っていたのだと思います。
 
僕の姿を見るなり早足で近づいて来ました。
久しぶりだな、元気だったのかと声をかけ
灯りの元で彼の顔を見るなり、僕は血の気が失せました。
 
以前から鼻の近くに深い傷を負っていたり、
目もまぶたに元々の傷があったりしていました。
 
まだ生々しい傷口を見るたびに、早く良くなるように
少しでも回復を促すよう複数の栄養素を含有した
食べ物をあげていたりしました。
 
その甲斐か、彼がそもそも備えている治癒力の
逞しさ、それらが相まって、傷はしばらくすると
何事もなかったかのように癒えていったのです。
 
今回がそういう進展を見せないのは明らかでした。
 
僕から見て、向かって左側
彼の右目がひどい傷を負っており、そこから流れ出た
分泌物が顔を伝った痕跡が残っていました。
 
右目の眼球はあらぬ方向をむいていたのです。
 
言葉がありませんでした。
 
ですが、大丈夫なのかいと問いかけると
彼は「やっちまったんだよね」と黙しつつも
語り始めたような気がしました。
 
右目が見えなくなっているのは明らかでした。
ただ、傷自体は治っているようです。 
どこかで静かに身をひそめて、負った傷と
心が癒えるのを待っていたのだと思います。
 
僕の前にしばらく姿を見せなかったのは
そんなわけがあったからだと思うのです。
 
大きな傷を負ったものの、
そこから回復しているのはきちんと
食べるものを食べたことからも分かります。
魚の缶詰や、新鮮な香りのするマグロの食材を
選んで食べていました。
 
そして何より彼の大好物だった「チュール」という、
絞り出して食べる柔らかいおやつをいつもと
同じように、とても美味しそうに食べてくれました。
 
そのあとも様子を見ていると寝転がってリラックス
したり、休んだりしています。
 
このあとどうするんだい、と心配になったりしますが、
そのうち道を渡り次のいつものコースへ向かいました。
 
明るいライトでしばらく後を追いましたが、
慣れたものです。自分がつけた「匂い」のついているもの
で感覚的に分かるのですね。暗闇でも大丈夫です。
 
顔に明るいライトが当たった時に分かりましたが、
猫の目は車のライトなどが当たると光るものです。
 
片方の目はもはや光ってはいませんでした。
 
 
本当に胸が辛くなりましたが、
彼はさして気にしていないようにも見えます。
もう大丈夫だよと僕に伝えに来たのだと思えるのです。
 
厳しい寒さが続いた試練の冬はもう過ぎ去り
暖かな春が巡ってきたのさ。
 
歩き方は少し変えなければならないかも
しれないけれど、季節は僕に味方してくれる。
お父さん(何故だかネコ語でそう呼びかけられている
ような気がしています)僕は大丈夫。
 
小さな(いや、結構大きいのだけれど)うしろ姿は
そう物語っているようでした。
 
車を運転している人が道で彼を見かけたら、
少し優しい気持ちになってほしい。
もしかしたら見えていない
場所があるかもしれない。
 
でも力一杯生きているネコちゃんなんです。
 
僕も彼の生きる姿に、なにかさずけられたものを
感じるのです。
 
明日も一生懸命パンを作ろう!
 
ギターを弾いてYouTubeにのせよう。
 
ネコちゃんのからだは小さいけれど、
そのたくましさは比類なく、
僕らに、標(しるべ)を授けてくれるのである。