●XL-25A


XL-25Aは、1970年代中ごろに発売された普及価格帯のMM型カートリッジだ。
その設計は、グレースからソニーに転職した森芳久さんである。
XL-25Aは楕円針

 

webサイトには上記の内容の記述がある。

 

 

ひょんな事で。針を交換してほとんど使用していないというカートリッジが私の手元に来ることになった。

 

それは落札したからとか、強い意志により探し求め

e bayでやっとのこと手に入れたというような

意図的なものではなかった。

 

とても恣意的なものだ。

 

そういえば昔ソニーのカートリッジを友人に

勧めたらその音にすごく喜んでいたなとか、

秋葉原でオーディオ製品を売るバイトをやっていた頃

ソニーのカートリッジを取り扱っている(SONY母体と

カートリッジは別の会社だった)営業マンが

腰の低い笑顔のよく似合う人だったなどということが

想起されたりして、ま、これでいっか、というノリで

この型番のカートリッジを入手してみたのだ。

 

 

そんなこんなの顛末で音にさほどの期待感が

あったわけでは無い。

ただgrace設計者の手によるものであるということは

事前に分かっていたため、その音はSONYの音というよりは

「grace」の音とはどのようなテイストだったのか、

それが関心の的であった。

 

高さ調整をキチンと行い、針圧やアンチスケーティングは正確にセットする。

ただオーバーハングはいい加減だ。歪むようなら変えようということで極意といい加減さが同居しているところが悩みどころだけれど。

 

この一刻も早く音を聴いてみたいという衝動には

抗いがたいものがある。

 

さて、その音は如何なるものであったのか。

 

中島みゆきとローズマリー・クルーニー晩年のアルバムを聴いてみた。

 

その音は一言でいって

「素敵だ」に尽きる。

それ以外の言葉が浮かんでこない。

 

20代に入って私はテクニクスEPC-100CMKⅢというカートリッジをずっと使ってきた。103やテクニカ、エンパイアなどもしばらく使ってはいたものの、やはりEPC-100CMKⅢは出会うべくして出会った出来事のようで、これで自分の中のオーディオ感は決定づけられたような気がする。

 

あの、しなやかでボーカルのさ行がきつくなることなく、しかし鮮明に。歌の持つ情感が溢れるように表現されるさまはただひたすらに甘美な世界だ。

 

それはまるでロバート・B・パーカーの小説に登場するスーザンの揺れる瞳を覗き込む思いがする。

 

そうなのだ、このXL-25Aからはその失われてしまって久しい

その片鱗を感じとることが出来る。

 

そういう意味ではこれは「再会」であるようにも思えてくる。

 

そんなわけで

この2週間CDプレーヤーには手を触れていない。

 

毎日レコードが繰り広げ現出させてくれる世界に

目を奪われ続けている。

 

 

追記

 

下記の記事が見つかったので

載せておきます。

 

Date: 12月 27th, 2018
Cate: 訃報
Tags:

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森芳久氏のこと

facebookを見ていたら、森芳久氏が12月26日に亡くなられたことを知った。

森芳久氏は、ソニーのカートリッジのエンジニアとして、
私がオーディオの世界に足を踏み入れたころから、オーディオ雑誌に登場されていた。

他の日本のメーカーのエンジニアの人たちも、
オーディオ雑誌に登場されている。
顔写真も載っていたりしていた。

森芳久氏の名前と顔はすぐに憶えた。
柔和な表情が、そのころからすごく印象に残っていたからだ。

ソニーのカートリッジは、こういう表情の人が設計・開発しているんだな、と思ったことを憶えている。

1982年から丸七年ステレオサウンド編集部にいたけれど、
森芳久氏と会う機会はなかった。
1982年秋にはCDが登場している。

いうまでもなくソニーはフィリップスとともに、CDのオリジネーターである。
CD登場後もソニーのカートリッジの新製品は出ている。

それでも会う機会はなかった。
森芳久氏のことを何か書けるわけではない。

だったら書かなければいいではないか……、
そのとおりなのだが、書かずにはいられない気持は消さない。

音環手帖というウェブサイトがある。
東京藝術大学音楽学部音楽環境創造科のサイトである。

森芳久氏は、音響技術史という講義を担当されていたそうだ。
音環手帖には、「教官モ、語ル」というページがある。
森芳久氏が登場されている。

技術は決して無機的なものではなく、そこには熱い血が流れているのです
そのページに、そう記してある。

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