氏を知ってから私の人生は確実に

3倍は楽しくなった。楽しい人生とは実に愉快でいいものだ。
 
 
コロナ前にはNHK第一で毎週月曜朝からやっていた放送を聞くことが
何よりの楽しみでもあった。
 
著書も沢山読ませてもらった。
大竹氏らシティーボーイズでのコントも最高だった。
 
たった一行だけ無念なのはこれが
以下の記事により過去形で書かざるを得なくなったことた。
「牛への道」がこれからもずっと続くことを
疑ったことは、そういえば一度もなかったことに
今気づいた。
 
これから以降は氏を慕った記事の転載である。
 
劇作家の宮沢章夫が9月12日に死去した。65歳だった。

これは宮沢が主宰する劇団・遊園地再生事業団のSNS上で発表されたもの。宮沢は以前から入院して療養中だったが、うっ血性心不全のため都内の病院で亡くなったという。葬儀はすでに執り行われている。遊園地再生事業団のアカウントでは、ファンや関係者に向けて感謝のコメントを綴り、「宮沢章夫は幸せ者です。いま、『牛への道』で安らかに夢を見ていることでしょう」と締めくくっている。

宮沢自身のTwitterアカウントでは、8月20日の投稿が最後となった。投稿内容は「それにしても眠い。さよなら。宮沢章夫」。

宮沢章夫は1956年生まれ、静岡・掛川出身。多摩美術大学美術学部建築科を中退後、パフォーマンスユニット「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」を結成。メンバーには竹中直人、いとうせいこうらがいた。宮沢は作演出を担当していた。1990年に遊園地再生事業団を旗揚げ。第2回公演『ヒネミ』で1993年に『岸田國士戯曲賞』を受賞した。早稲田大学文学学術院文化構想学部で教鞭をとったほか、NHK Eテレで放送された『ニッポン戦後サブカルチャー史』の講師を務めたことでも知られた。
 

以下は読売よりの転載となる。

「時間のかかる読書」「わからなくなってきました」…宮沢章夫さん死去、65歳

配信

 

 

 

 

 多彩なジャンルで執筆活動を展開した劇作家、演出家、小説家の宮沢章夫(みやざわ・あきお)さんが12日、うっ血性心不全で死去した。65歳だった。告別式は近親者で済ませた。喪主は妻、千景(ちかげ)さん。 

 静岡県生まれ。1985年、竹中直人さん、いとうせいこうさんらとコントパフォーマンスユニット「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」を結成し、作・演出を担当。90年に演劇ユニット「遊園地再生事業団」を結成し、日常の言葉のずれなどをリアルに描いた作風が小劇場界で注目された。92年に上演した「ヒネミ」の戯曲で岸田國士戯曲賞を受賞した。

 2000年に小説「サーチエンジン・システムクラッシュ」が芥川賞と三島由紀夫賞の候補になり、10年に「時間のかかる読書」で伊藤整文学賞(評論部門)を受賞するなど、文筆分野でも高い評価を受けた。早稲田大教授などを歴任した。

 関係者によると、宮沢さんは心臓に持病があり、約1か月前から入院していたという。著書に「ボブ・ディラン・グレーテスト・ヒット第三集」「わからなくなってきました」など。