
25年前の自分に会わせてあげる、
と言われれば
おおかたの人は、こう思うのではないだろうか。
それは凄い、あの瑞々しい世界に再び巡り会えるのか、と。
と言われれば
おおかたの人は、こう思うのではないだろうか。
それは凄い、あの瑞々しい世界に再び巡り会えるのか、と。
それを可能にしてくれるのがこの
ニューヨーカーがセレクトした「像の消滅」なのである。
ニューヨーカーがセレクトした「像の消滅」なのである。
取りあえず、25年前に一度でも読んだことがあるという
条件が必要ではあるけれど。
条件が必要ではあるけれど。
子供の頃見た光景を、大人になって見たりすると
意外に小さかったんだな、とか、もっと綺麗だった
と思ったけどな、という思いをすることがある。
過去の想い出を引きずり出すと
幻滅が待っていたりする。
意外に小さかったんだな、とか、もっと綺麗だった
と思ったけどな、という思いをすることがある。
過去の想い出を引きずり出すと
幻滅が待っていたりする。
しかし、この短編集を読んでいて
そんな思いを抱くことは全く無かった。
そんな思いを抱くことは全く無かった。
些細な日常は丁寧に文章に置き換えられる。
風はその独特な香りを放ち
僕らがいくら探しても見つけることの出来なかった世界を
見せてくれる。
風はその独特な香りを放ち
僕らがいくら探しても見つけることの出来なかった世界を
見せてくれる。
例えば何気ないこんなフレーズに。
「洗濯ものはまるでちぎれかけた彗星の尻尾みたいに
ばたばたと乾いた音を立てて宙に躍っていた」
ばたばたと乾いた音を立てて宙に躍っていた」
この短編集にはこんな小粒で小粋なフレーズが
300は出てくる。
300は出てくる。
それらは20年以上前の僕が、
確実に目にしたものなのである。
そこに、そんぐりそのまま手つかずで残されている。
確実に目にしたものなのである。
そこに、そんぐりそのまま手つかずで残されている。
古さを感じるどころか
読み手の感性が変化している分
余計に言葉の振動が伝わってくるのである。
読み手の感性が変化している分
余計に言葉の振動が伝わってくるのである。
こんな世界が中古屋では700円で手に入る。
図書館にも置いてあるはずだ。
(僕は図書館で借りた)
図書館にも置いてあるはずだ。
(僕は図書館で借りた)
何故このような締めくくりになるのかよく分からないが
連休中、不意をつかれた風邪のせいかもしれない。
連休中、不意をつかれた風邪のせいかもしれない。
注意しなければならないのは
この中に「パン屋再襲撃」という話がある。
これだけは感心出来ないので
決して真似をしてはいけないのである。
この中に「パン屋再襲撃」という話がある。
これだけは感心出来ないので
決して真似をしてはいけないのである。