やっと。 | ぱんのブログ

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I ❤ JAPAN. byぱん

やっとブログを書く気持ちが整いました。

どうしているのか・・・とメッセージを下さった方々、
お返事も書かず、すみませんでした。

2年前の2010年9月から、今まで、
本当に色々な事がありました。

2年前の11月には母を。

この8月の末には父を。

母が亡くなる数ヶ月前から色々な事が始まり、
本当に最近まで、実際には今現在も、
もう少し色々あるのですが、
自分としては、ひと区切りついたのではと思うことが出来たので、
こうやってブログを書き始めたわけです。

沢山の事を学んだと思います。

こういう時に、今まで周囲にいた人々の本当の姿が見えて来るな
という事もイイ勉強になりました。

最後まで支え続けてくれる人。

「他人の不幸は蜜の味」とばかりに、興味津々の人。

支えてくれているのかなと思っていたら、すーっとフェィドアウトしていく人。

全く関わりが無いと思っていた人と、自分の親のお陰で繋がりが出来た人。

本当に数限りない人間達と出会いました。

今までも、いろんな人達と出会っていたのでしょうが、
自分が成長していない分、気付かなかった事は沢山あると思います。

人間は、言葉でコミュニケーションが取れる動物ですよね。

だけど、この言葉が、お互いを良く解りあえる道具になるかといったら
それがそうじゃなく、不完全な道具だという事も、
今回身を持って理解出来たように思います。

言葉の違ったアメリカに住むようになったから、なおさら、
それは、今回の色々な事と相まって、
ストンと自分の中に落ちたような気がします。

親が手塩にかけて大事に育てた子供が、
必ずしも親に感謝するような子になるとは限らないという事も、
目の前でしっかりと見せてもらいました。

自分は子供がいませんが、
子育てというものの難しさを感じずにはいられませんでした。

そして、恐ろしくも感じました。

親というものは、ひとりの人間を作る大きな仕事があるわけです。

親が良かれと思ってすることが、
将来、蓋を開けてみれば、
「何でこんな事に・・・。」となる場合もあるわけですよね。

自分が、職場で沢山の子供と関わっていて、
「一体この子達はどんなものの考え方の人間になるのだろう・・・?」と
ふと思う事があります。

親は、あんなに一生懸命育てて
その結果が常に良い結果になるとは限らない・・・。

なんと残酷な事だろうと思います。

親の死を通して、本当にいろいろな事を学びました。

親は死んでまでも、自分に色々な事を見せて教えて
導いてくれるという事に気付いたとき、
両親に感謝せずにはいられませんでした。

両親と親交の深かった方たちから
自分の親の話を聞き、
あらためて自分はこの人達の子供で良かったと
心の底から思いました。

もっと早くに、これ程親に感謝する良い子だったら
どれだけ親は喜んだだろうと思いますが、
ホレ、そこがぱんも若い時があったということなのでしょうね。あはは。。。

「親孝行、したい時に親は無し」という言葉がありますね。

親子関係も色々ありましょうが、
親孝行出来そうな関係ならば、
出来そうな事があれば、
ほんの電話一本でもいいので、
してあげてみてはいかがですか?

余計なお世話ですけど。aya


職場の大親分(直接の上司のもう一つ上)が、父が亡くなった後、
メッセージを送ってきてくれました。

・・・両親をなくした時点で、自分たちは皆、孤児になる訳なのよ。
そう感じても何もおかしくは無く、歳をとって両親をなくしても、
幼くして両親をなくしても、この世でいずれ皆、孤児になるわけね。
それでも、孤児だから、悲しいとか寂しいとか情けないとか、
そんな事を思い続けていては、生きてはいけないわね。
しっかり前を向いて、人に後ろ指を差されることのない、
きちんとした人間として生きていく事が、自分にとっても親にとっても
何より良い事になるわけね。
そして、時々、両親のことを思い出して偲んであげればいいのよね。
・・・中略。
私たちはいつも貴女の傍にいるよ。しあわせ


直接自分の周りにいる人達も、
アメーバで知り合ったネットを通した人達も、
とにかく自分の周りにいる人達が、
ぱんの何よりの宝である事にも
感謝しています。



どうぞ、これからも宜しくお願いします。aya