実家は商売をやっていて、年末はとびっきり忙しかった。当然クリスマスどころではない。私は小さい頃からサンタさんに欲しいものを頼んだことなんてない。時代的にもそうだったかもしれない。どこの家庭もお菓子の入った赤いブーツが枕元に置いてあるだけだったようだ。
それは私が10歳の冬だったと思う。弟が
「beachan、ボク、野球のユニフォームが欲しいんだけど、おかあちゃんに頼んでよ」
と言ってきた。その頃野球が流行り、どこの小学校でも休日には校庭で大人が子どもらを集めてキャッチボールをしたりしていた。弟も毎週日曜日になると参加していた。
弟は、自分が頼むより、姉である私が頼むことの方がことがうまく進むと分かっていた。もちろん私もそう思っていた。そして、私は弟に頼まれたらやってあげようと思っちゃう。けんかしつつもいつも仲良しの2人だった。小さい時から弟はキューピー人形みたいに目が大きくて、くりくりしてかわいかったんだもの。
私たちはいつも夜8時には布団に入る習慣だった。母も一緒だ。そして、子どもたちが寝静まってから、また起きて残った家事をこなしていたんだと思う。その布団の中で私は
「おかあちゃん、みっちゃんが野球のユニフォームが欲しいんだって」
と言った。母は
「ユニフォーム?」
と不機嫌そうにしていたが、数日後には近所のスポーツ店に行くことになった。弟に
「beachan、ありがとう」
と言われて私は嬉しかった。
その日、スポーツ店のおじさんは手際よくユニフォームをそろえてくれた。そして最後に
「背番号を入れられるけど、何番にする?」
と弟に聞いた。弟は即座に
「3番!」
と答えた。
「えっ?なになに、3番って?」
と私は思った。後々それが、かの有名な長嶋茂雄さんの背番号だと知った。野球少年の誰もが憧れる栄光の3番だと知った。
私は姉だから、可愛い弟のために動いたはずだった。ところが、弟は姉の知らない道をどんどんと歩いていた。ずっと一緒に遊んできた弟が離れていくようでとてもさみしかった。その時、
「もう2度と弟の代弁はしないぞ」
と心に誓った姉の私でした。
翌年には、赤いブーツも届かなくなり
「サンタさんは自分の両親なんだな」
と分かり始めた私の子どもの頃のお話。
今年はその長嶋茂雄さんが亡くなられた。合掌。