「ゆとり」「個性」そんな言葉が世の中で叫ばれるようになったのはいつだったか?大輔は、それらは間違っていたのではないかと思う。いや、間違いではない。間違ってはいないが、取り入れ準備が世の中で整っていないうちに、それらを前面に押し出しすぎた。

 

 背の高い子も低い子も同じ大きさの洋服を着せられる。画一的な学校に通わされる。背だけじゃない。肩幅の広い子、細い子、お尻の大きな子、厳密にいえば一人として同じ体形の子はいない。それなのに同じサイズの同じ格好をさせられたら、個性は死んだも同じ。

「個性を大事にしたいならその子にあった洋服を作ってから、言ってほしい」

 

 「ゆとり」も同じだ。そう言いながらただ授業数を減らしただけ。そのために日本の子どもらの学力が低下したと、今になって慌てて詰め込もうとしても空白は埋まらない。そこに加えて、今の教師たちの多忙さは半端ではないようだ。

 

 世の中には「今の世の中になじめない子」がいる。そう、翼のように。それだって「個性」の一つだ。そして、「学校に行かれない」それが、「良くないこと」としてとらえられてしまう。その子たちがそうした診断をつけられるのだ。画一的な学校、その後の社会からはみ出してしまった子はどうしたらいいのだろう?それでも大人になって、自分のやりたいことを見つけたなら、それは素晴らしいことだ。何もつかめず、受け入れるところもなく、そうなったら親子でさまようばかりだ。

 

 純子が長年園長を務めてきたことで、大輔は子どもたち、親たちの困った声を聞いてきた。それは驚くような話、そして数。


 自分が小学生の時のことに思いを馳せてみる。不登校などあまり耳にしなかった。中学生になって、

「あの子、学校来られないんだって」

「アイツ、保健室登校だってさ!」

って、聞いたことはあった。でもほんの少数だった。卒業式を欠席したのは200人ほどの中の1人だった。どうも大輔はその数が現在増してきていると思う。特に我が子である翼が引きこもってしまった、その現実があるからそう思うのか?何の問題もなく、普通に学校や社会になじめる子の親はそんなこと思いもしないかもしれない。

 

 長い夏休みの後に自ら命を絶つ子も年々増えている。それだけは、それだけはどうか、くい止めたい。翼がそんな行動をとったと想像した時もあった。さすがに身体が震えたのを覚えている。

 

 不定期に続きます音符