今のように家庭用ビデオ、スマホが普及していない時代に育った私は、過去の自分の動く姿や声に触れることはできない。私に限ったことではないと思うが。もしもたった一つ願いが叶うとしたら、迷わず選ぶものがある。それは、なんと自らのものでなくて、弟の小学校4年生の時の学芸会の劇だ。

 

 周りから、なんとなぁく

「beachanはしっかりしているけれど、みっちゃん(弟)はどうもねえ」

ってな評価をされて育った二人。弟はいつも怒られて、成績も今一つだった気がする。そんなみっちゃんが主役に選ばれたのだ。我が家は驚きと喜びと、そして不安に包まれた。

 

 それは『白いほうたい』というタイトルの学校生活を舞台として友情をテーマにしたものだった。主人公のようちゃんがちょっとした勘違いから友達を傷つけてしまう。そして、それがのちに自分の間違いだったと気づく。

 

 最後には、お姉さんが

「一緒に謝りに行こう」

と誘ってくれる隣で

「遅いよ、遅いよ、もう遅いんだよ!」

とようちゃんは号泣する。お姉さんが、

「友達を連れてくるから、ここで待っていてね」

と言って走り去る中、1人残されたようちゃんは泣き続ける。そして幕が下りる。

 

 最近は劇団に所属している子もいたりして、いわゆる「子役」と呼ばれる子たちは思いのままに涙を流せるらしい。が、昭和40年代、私の周りにそんな子はおらず、「泣く演技」といえば、両手の甲をそれぞれ目に押し当てて、「エ~ンエ~ン」「ワ~ンワ~ン」と大声で叫ぶのがせいぜいだ。

 

 さて、その頃、私の通う小学校の学芸会では学年で2つのグループを作っていた。片方が親に見せるAグループ、もう片方が子どもらに見せるBグループだった。言葉には出さないが、どの子もどちらが正選手でどちらが補欠か理解していた。そんな時代だったのだ。

 

 だから私は、Aグループだった弟の演技を実際に見ていない。母は

「良かった、良かった、泣けた」

と言うばかりで、私にはどこがどう良かったのか知らされることはなかった。ただ、翌日の朝の会で担任の先生が

「4年生の主役の子が最後に泣く場面で、本当に涙を流し号泣していたので感動しました」

と言ってくれたので、私は弟の頑張りを知りえた。もちろん、周りのみんなも役になりきって好演したからこそのことだろう。年子とはいえ、大きく前を歩いていた私が、この時、なんだか弟に抜かされた気がした。

 

 さて、その後、長男が小学校に入学し、私は20年ぶりに学芸会の観客となった。一体どんなものを見せてくれるのだろうか?ところが、ダブル、トリプルキャストに違和感があり、内容に入り込むことができなかった。全く同じ格好をして出てきた子……???「あぁ、そういうことか」

 

 この間に学校教育のあり方が大きく変わったのだと思った。その変化は耳にはしていたが、現実を見た、ということだ。子ども達が一生懸命に演じる姿に大きな拍手を送ったものの、心打たれることはなかった。

 

 弟の『白いほうたい』が見たい。テレビドラマでも劇団の舞台でもない、映画でもない、公立小学校の普通の4年生の学芸会のあの劇が見たい。