「嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は 龍田の川の にしきなりけり」
はじめて覚えた百人一首、小学校1年生の時のことだった。
両親は百人一首を教えてくれた。それまでカルタは、絵札をとるものだったから、驚いた。
「字を並べてそれをとるんだよ。上の句と下の句というのがあって、下の句の文字を拾うんだよ」
と、上の句をサラリと読みあげ、私が取れるまで下の句だけを繰り返し読んでくれた。けれど、やり始めても似たようなものも多く、なによりしっかりと読まないと全部同じに見えるから、7歳の私には相当な根気が必要だった。しかも100枚。それでも両親はヒントを出しながら、付き合ってくれた。
そして、年子の弟の存在も大きかった。弟も平仮名が読めるようになり、競い合って遊んだ。最初の頃は私が勝っていたけれど、あっという間にどっこいどっこいになった。妹が参戦する頃には私は小学校6年生となっていて、妹は相手にならなかった。年子の子育ては両親は大変だったと思うが、私は小さい頃の記憶は弟とのものがたくさんある。
妹はいつも「おみそ」と言われてかわいそうだった。「おみそ」‥‥‥。なつかしい。今では聞かないし、当時だって、地域的なもの?鬼ごっこもかくれんぼもゲームもすべて、参加はするけれど、妹は勝ち負けのつかない「おみそ」だった。
さて、その
「嵐吹く‥‥‥」という一首をなぜ最初に覚えたのかはよくわからないが、並べるときに目の前において父や母が
「あらしふく~」
と上の句を読み始めると、すぐにとることができた。
読み手は母のことが多かったが、父の時もあった。ところが、その読み方、なんというか、ふし?がついて抑揚?があっておもしろかった。そして、父と母のそれが微妙に異なるのだ。その時私は
「ああ、お父ちゃんもお母ちゃんも子どもの頃、おじいちゃん、おばあちゃんがやってくれたのかな?」
と、祖父母の顔が頭に浮かんだ。
これは、高校時代、役に立った。小学生の時に上の句を言われれば、下の句がスラスラ出てくるくらい遊んだので、冬休みの古典の宿題は完璧だった(と思っていた)。冬休み明け、テストがあった。なぁんにもやっていなかったが、ドンドンと書き進めることができた。ところが‥‥‥。
最後の数問は、下の句が書かれていて、上の句を答えるものだった。本当は意味もきちんと理解するところまでが宿題だった。私はさぼった。ただただ昔の丸暗記だけが頼り。心の中で下の句を父の節で読んでも母の節で読んでも上の句は一向に思い出されることはなかった。
ただ、定期試験でいつも平均点前後がやっとだった私が、小テストではあっても90点代はうれしかったな。