父が亡くなってそろそろ3年だ。涙はない。父が亡くなった直後に友人に言われた。

「こういうことは、後からじわ~っとくるのよ。今はいろいろ忙しいでしょうし、気が張っているからね。身体に気を付けてね」

その言葉が有難くてじわ~っとした。けど、「後から」っていったいいつ頃なんだろう?

 

 私は大人になってから、めっきり泣かなくなった。小さい頃、すごい泣き虫だったのに。父の死にも涙を流さないなんて、人としてどうか?でも私は父が大好きだ。たくさんの時間を共有してきた。嫁ぎ先が近いこともあって、いっぱい話もしたし、亡くなる直前まで、母と一緒に毎週末ゲームやトランプもした。

 

 よく、街角インタビューやアンケートなどで

「尊敬する人は誰ですか?」

という質問に

「両親です」

と答えている小学生がいる。私はすごいなあ、と思っている。自分の父がノーベル賞を受賞したとか、世の中のために力を尽くしたとか、ある分野で有名になるような功績を残したとかなら言えるけれど、ちょっと恥ずかしくない?理由を聞くと、

「お仕事を頑張って、自分たちを育ててくれているから」

って。今どきの小学生、そんなことを思うんだ。偉いなあ。みんなそうなのかなあ?

 

 小学生の自分だったら、尊敬する人といえば、伝記として本に出てくるどなたか、がせいぜいだったろう。『野口英世』とか、『ナイチンゲール』とか、読んだなあ。親が子供を育てるのは当たり前だもん、なんて思っていた。

 

 父は、以前から月に1度、内科に通うようになっていた。が、その日は疲れたと言って初めて往診をお願いした。コロナ真っ只中、誰もが知ることとなった『酸素飽和度』が70%台であったため、すぐに救急車で運ばれ、入院となった。

 

 検査の際に看護師さんに

「ちょっとチクッとしますよ~」

と言われ

「あなたならいい」

と答えた父。(お父さま、それ、セクハラでございますよ!)そんな時にまでジョークの好きな父らしい一言。その翌朝に亡くなった。コロナではなかったが。

 

 数日前から

「もう十分に生きた。余すところなく身体も使い果たした。みんなによくやってもらって感謝している。それぞれが頑張っていることも嬉しいことだ。そろそろおやじやおふくろにも会いたいしな」

と聞いていた。まだまだ元気そうに見えたけれど、肉体的にはいっぱいいっぱいだったのだろう。現実的な父が、亡くなった両親に会いたいなんて言うとは‥‥‥。

 

 ずっと前には

「亡くなったら、なにもない。あの世もない。故人に会えるなんて聞くけど、信じられないなあ。こればっかりは死んでみなくちゃわからないな」

なんて笑顔で言ってたよね。

 

 「お父ちゃん、私もいつか、『十分に生きた』とみんなに感謝を言いたい。尊敬です」

今は人生を全うした父への敬意の気持ちでいっぱい。いつかじわ~っとして涙を流す日が来るのだろうか?