毎週末実家に行き、母の様子を見てくる。母は一人暮らしになってからそろそろ3年だ。届いた郵便物などの確認をし(要返信ものを処理)、この1週間の様子を聞き、ゲームをしてくる。頼まれたおつかいもする。
が、耳の聞こえは明らかに悪くなっているし、何か説明をすると
「わかんない、わかんない」
を連呼するようになった。環境が変わることを大変嫌がるし、新しいものには、取り組む前からあきらめる。90歳も近くなれば仕方がないか。でも壊れた家電を新しくしたら、なんとか最低限の機能は使えるようにならないと、困るでしょ?
というわけで、弟が使わないからと持ってきた電子レンジやオーブン、最初は
「私にはできないよ」
と言っていたが、ご飯の温め、パンのトーストはマスターした。私が大きな紙に、やり方を書いたのだ。
ところが年末にインターフォンを新しくしたら、
「頭が悪いからわかんない」
の一点張りだ。今まで使用していたものは50年も前の電話の受話器のような物。それが、台所の壁に取り付けてあり、来訪者のピンポンが聞こえたら、それで対応する感じ。だが、それだって聞こえの悪くなった母は使っていなかった。聞こえなければ、そのままスルーなんだから。たまたま音に気付いた時は、玄関ドアチェーンをかけたまま隙間から外を見る。知った方は、招き入れる。
私はいつも実家の鍵を持っていて、いきなり入っちゃう。親戚も母のことがわかっているから、インターフォンに応じない時は勝手に庭の方へまわって、家を覗いたりする。そうして大体用は足りてきた。
今回のものはさすがに画像が映る。持ち運ぶこともできる。耳の遠い母にとっては、以前のものよりずっと便利なはずだ。私は、何とか使いこなせるようになってほしかった。いつものように、大きな紙に受話器の絵まで描いて使い方を説明した。
そして何度もやった。
「いい?今から私がお外でピンポンを押すから、見ててね」
と言って、受話器を母の目の前において外に出る。インターフォンを押す。家に入る。
「ピンポーンって聞こえたでしょ?65歳の私が映ったでしょ?」
当たり前だ。目の前のそれだけに集中しているのだから。
「うん、美人さんが映った」(私のこと、美人さんと言ってくれるのは母だけだ)
と、笑顔で良い調子で会話ができたところで、やり方の紙を見せながら説明しようとするが
「だめだよ、できないよ。頭悪いから」
とうつむく。
「しゃべらなくていいよ、誰が来たかわかればいいんだから。ここに映った人が知っている人なら鍵を開ければいいし、知らない人なら無視していいから。常に見てとは言わない。音が聞こえたら見てね。そして、寝るときに充電して、朝起きたら居間か台所に置く!」
充電だって母にとっては何のことかわからないだろう。本当は通話機能がついているが、その説明もしない。
「できないよぅ」
と言われるのが分かっているから、今は訪問者の確認だけできれば、と私はグッと気持ちを抑える。
尚もうだうだと言葉を発する母に、ついに私は言ってしまった。
「おかあちゃん、今度から私は鍵を使って勝手に入ってこないからね。ピンポン押すからね。もし鍵を開けてくれなかったら帰るからね。おかあちゃんに慣れてもらうために、そうするからね」
と。
先日、実家に行き、インターフォンを押した。90歳にもなろう母、機敏な動きができないことは分かっている。2回、3回、4回、5回、ある程度の間隔をあけて5回押してみた。鳴らしてみた。玄関は静まり返っている。私は心を鬼にして帰ることにした。
「おかあちゃん、これは決していじわるじゃないよ。」
それなりの時間を使って実家を訪れた。鍵だってポケットに入っている。娘の私が鍵で勝手に入って、何ら問題はない。これまでもそうしてきた。これからもそうすればいいのだ。
私は何をしようとしているのだろうか?母の
「わかんない」
が聞きたくない。いろいろなことを学ぶのが好きで、よく動く母だった。その頃に戻れとは言わないが、私の期待度は大きすぎるのか?
仕事休みの土曜日、決まって訪れていた私を母は待っていたかもしれない。夕方、
「今日はもう、来ないのか‥‥‥」
とがっかりさせたことだろう。もしかしたら
「今日、beachanはどうしたんだろう?風邪でもひいてやしないか、熱でも出しているのか」
なんて心配させたかもしれない。
「今週末、鍵使って入いろうかな‥‥‥」
たった1回で私の決意はもろくも崩れる。