私が幼稚園から小学校低学年の時、この時期には毎年父が千葉の海に連れて行ってくれた。店は休めないから、母は留守番だった。妹と一緒だった記憶もないから、彼女も置いて行かれたのかな?そこは父の叔母さんの嫁ぎ先だった。

 

 車が混むからと、朝4時に出発する。その日の朝は眠い目をこすりながら、菓子パンと牛乳を口に流し込んで、出発だ。私と弟と、親戚の誰かが乗り込む。ほかにも2台、おじいちゃんおばあちゃん、伯父さん、叔父さん、従兄弟姉妹の車。これが、私の中で眠気を覚ますほどの興奮を与えてくれる。追い越したり、抜かれたり、時々見失うとハラハラして

「おとうちゃん、ノリちゃんの車、見えないけど大丈夫?」

と運転している父に声をかける。弟は

「やったーー!おじいちゃんの車抜かしたーー」

と騒ぐ。

 

 当時、4時間近くかかったろうか?大叔母さんらが出迎えてくれる。土産に持って行ったスイカを切ってもらった。そこには私よりいくつか上のお姉さんが二人いた。はとこかな?

 

 午後にはすぐに海に入る。家のすぐ前は海だ。砂浜には牛がいて、搾りたての牛乳も飲ませてくれた。ただ、そこの海は岩場でごつごつして砂場も狭く、海水浴にはむいていない。従兄弟姉妹のユキちゃん、トシちゃんはすぐにゴーグルをつけて海の生き物を探し始める。はとこのたぁちゃんは、真っ黒に日焼けしていて、海がお友だちの魚のようだ。


 幼稚園の頃、まだ泳ぐことすらできなかった私は、ただそれを眺め、浮き輪を付けてぴちゃぴちゃと遊ぶだけだった。

 

「早くbeachanもあんな風に遊べるようにならないと」

と父が言う。だからと言って教えてくれるわけでもなく、私はむくれる。

 

 翌日になると父は遠浅の海水浴場へ連れて行ってくれた。結構車の通る街道沿いを水着を着て既に膨らんだ浮き輪を抱えて、父を先頭に列をなして20分ほど歩く。当時は紺色のスクール水着に思いっきり大きな白い生地を縫い付け、そこに名前が書いてあった。お金持ちのお嬢さんならば、プライベートではかわいい模様の付いた水着で遊ぶのかもしれないけれど。私も弟も学校以外でもスクール水着だった。

 

 今思うと恥ずかしいけど、当時は何にも思わなかった。今は恥ずかしいとかよりも、名前を他人にさらすことの危険性がある。

 

 午後からはお休み時間だ。2階の広い角部屋は旅館のように、2面がガラス窓の作りになっていた。風通しがよく、子どもだけ、ゴロゴロと畳の上に転がって、漫画を読む。はとこのお姉さんはどうも『楳図かずお』さんのホラー漫画が好きだったようで、何冊も置いてあった。『ヘビ女』とか『ねこ目の少女』とかそんなタイトルの漫画を手に取り、夢中になった。こわくなって周りを見回し、みんながいると安心した。

 

 毎年三泊くらいしただろうか?おじいちゃんとおばあちゃんと近くの観光地を巡ることもあった。鋸山ってところも行った。当時の写真には着物姿のおばあちゃんが写り、時代を感じさせる。


 泳げるようになったのは小学2年生の時、従兄弟に無理矢理浮き輪をとられ、何が何だかわからず塩辛い水を飲み、鼻からも入り、大泣きした。それがきっかけ。

 

 私にとって、いつかもう一度訪れたい場所のひとつだ。