幼稚園の年長さんの時、今は亡き父がピアノを買ってくれた。父は若い頃、どこかでピアノを聞いて、その音色にとてもひきつけられたらしい。いつか自分も弾いてみたいと。

 

 父は母(私にとっての祖母)が踊りや唄をたしなんでいたこともあって、音楽(楽器)やダンスに興味があったようだ。社交ダンスを習ったり、(といっても近くの公民館で地域の人と楽しむ程度のものだが)、90歳くらいまで町会対抗カラオケ大会なんかにも出場していた。

 

 ある時はマイケルジャクソンのダンスを見て感激していた。岡村隆史さんのEXILEとのコラボダンスはとてもお気に入りで

「あれはすごい」

と言っていた。

 

 私が小さい頃はハーモニカを聞かせてくれた。父が持つことができた唯一の楽器だったことだろう。

 

 父は自身がピアノを演奏することができなかったが、その夢を私に託そうとしたらしい。5歳ころ、私は幼稚園の場所を借りてやっていた『ヤマハ音楽教室』に入れられた。自分は特に望んではいなかった。

 

 その当時、おけいこにどんなものがあるか知らず、周りのお友だちも親が決めたものに無理矢理通わされていたようだ。とは言え、その当時は「ピアノ」か「お習字」か「そろばん」くらいしかなかった。

 

 父は悩んだ。ピアノは決して安い買い物ではなかった。いつか用意するにしても私の取り組みを見てからにしたようだ。鍵盤楽器が我が家に無いのに、私は先におけいこに通うことになった。ま、楽器がなくても音楽に親しむ程度のお教室だったから問題なかったのだが。

 

 その頃私はヤマハの教本に付いていた「紙鍵盤」を使って練習していた。一生懸命紙の上で指を動かした。でもね、一向に音は出ない。幼稚園から戻って、毎日紙で練習する私を父は不憫に思ったようで、ある日ヤマハの社員さんがオルガンを運んできた。これで私がどの程度熱意があるのかを見て父はピアノを買うかどうか、決めようとしたらしい。

 

 そうして、ついに一月後に父はアップライトピアノの購入を決めた。

 

 私は楽しかった。そして、どうも私は耳がちょっとだけ良かったらしく、当時流行っていた歌謡曲を楽譜もなしに(主旋律だけならば)弾くことができた。伴奏(左手)は、適当に簡単につける。それには両親も驚き、どなたかお客さんがみえると、私は弾かされた。

 

 10歳にも届かない子どもが恋の歌を弾く。

『愛して愛して愛しちゃったのよ』

『知床旅情』

『アンコ椿は恋の花』

『ブルー・ライト・ヨコハマ』

数知れず‥‥‥。両親は私のことを音楽の才能があると思ったようだった。

 

 そして、個人レッスンを受けることになった。最初に先生に聞かれたらしい。

「プロ(でなくとも音大)を目指してしっかりやりたいのか、楽しむレベルでいいのか」

両親は迷わず

「ある程度弾けるようになればいい」

と答えたらしい。

 

 小学校卒業と同時におけいこはやめてしまった。小学校高学年にもなると、お友だちとの外遊びに夢中になった。「趣味のレベルで」お願いしたそのままに、大して練習をしていかなくとも先生は怒ることはなかった。厳しい指導を受けていたらとっととやめていたか、続けていたか、今となっては分からない。それでも楽器のいいところはいくつになっても独りで手軽に楽しめるところ。

 

 65歳の今では、昔のように暗記もできないし、指も動かないけれど、私にはちょっとした夢がある。

「娘と、孫のだれかと、六手連弾をすること」

1台のピアノに3世代にわたる3人が向かい、6つの手が動く。それほど難易度が高くなくても3人ともなればそれなりに豪華な曲になる。楽譜は既に用意してある。

 

 父に聞かせたかったなあ‥‥‥って思うが、今現在孫は誰もピアノをやっていない。

 

 それより、もし私の歌が上手だったら父とカラオケデュエットでもしたかったなあ。父は歌が上手だったけれど、なぜか私たち子ども3人の中に歌が上手い人間はいない。