次にSちゃんから電話があったのは、長男が大学4年生の夏の終わりだった。
「beachan、今話せる?」
そんな言葉で電話が始まった。断る理由なんてない。それに私はとても気になっていた。とにかくY君の様子が知りたかった。
Y君はやはり、抱いてきた夢をかなえるべく、警察官採用試験を受験したようだ。1次試験はマークシート方式のテストだった。結果は不合格だった。そして、なんでも採用試験は年に2回あるらしく、もう1度挑戦しようとしていた。
それからは、Y君の試験結果ごとに連絡があった。彼女の心がそのたびに揺れ動いているのがよくわかった。結果の報告より、気持ちがザワつく、彼女はそれを聞いてほしかったのだと思う。
ご主人の死については、悲しくはあれ、受け入れるしかなかった。でも時間が少しずつ解決してくれているようだ。が、Y君の問題は違う。彼女に、正解の見えない選択が突きつけられている。
「もともと勉強が苦手な子だったから、普段から机に向かうことはないのよ。定期テストで少しやってるかな?受験でまあまあがんばったかな?というレベルの勉強量だったのよ。そのYが毎日驚くほど机にかじりついて勉強しているの。バイト時間以外はほとんどよ」
それを見て彼女は切なくなった。
2回目の試験でもY君は1次試験を通過することはできなかった。
「がっかりしたYを見るのは辛かった」
が、一方で
「これでYもあきらめがつくんじゃないかとホッとしたところもあった。2回もダメだったんだから」
とも言った。
ところが、Y君は大学卒業後も数年は挑戦できることを母親に伝え、
「お願いだから、やらせてほしい」
と言ってきた。彼女はたった一言の「ダメ」が言えなかった。そのためにどれだけの話をしなければならないのか?Yはどうなってしまうのか?
今さらではあるが、警察官になりたいと言った時に伝えていたらこんなことにはならなかったかもしれない、と彼女は後悔した。身辺調査、本当なのだろうか?もしかしたら、単なる噂話なのではないだろうか?採用もあるかもしれない。天秤の右と左が交互に上下した。
Yに、なるべく早く伝えた方がいい?でも伝えたら、彼は一生それを抱えて生きていく。もちろん、彼個人にはなんの責任もない。堂々と生きていけばいいのだ。そうしてほしい。事件だって関係者以外は忘れていく。風化していく。ただ、いつかどこかでYが何か大きな決断を迫られたときに、それが足枷になりはしないか?自分で行動に壁を作ることだけはしないで欲しい。Yが不憫に思えた。やっぱり知らせたくない。
3回目の挑戦は、努力の甲斐あり、初めて1次試験をクリアーした。Sちゃんの声は半分弾んで半分暗かった。
ここから、ますます彼女は頭を抱えた。なんとか真実を伝えることを避け、その間にYがあきらめてくれたら、と願った。毎日願った。息子の不合格を願う親がどこにいるだろう?息子の夢を応援できない親がどこにいるだろう?
2次試験の結果、Y君は3度目の不合格を突きつけられた。それでもまだ彼はあきらめなかった。
「Yがこんなにあきらめの悪い子だったとは……」
彼女は、Y君が留守の時、部屋の本棚に教科書よりも厳かに整然と並んだ『こち亀』を何度となく眺めた。
4度目の挑戦にあたり、Y君は
「裸眼の視力が悪いことが原因だ」
と言って、レーシック手術を受けた。それは、バイトで貯めたお金だった。事後報告だったらしい。そして、1次試験を通過し、2次試験に万全の体制で臨んだのだった。彼にとっては。
ある日、彼女はY君に心を鬼にして伝えた。
「本当なら、就職している年だよ。今回で最後だよ。受かればいいけれど、もし落ちてもあきらめてね。Yの夢を心の底から応援しているけれど、お金のことも考えてちょうだい」
夢は応援したいけれど、「警察官という夢」は、応援したくない。受かりっこないのに
「合格したらいいね」
なんて彼女は本当に伝えなければならないことを隠すために嘘をついた。
Y君は
「わかってる。でも今回は、面接も体力審査も手応えがあった。自信があるんだ」
とまるで合格したかのような口ぶりだったという。彼女は、Y君のいないところで声を出して泣いた。
「主人が亡くなった時にも声をあげて泣くことはなかったのにね、おかしいかな私‥‥‥。」
続く