1月8日に母が救急搬送され、そのまま入院した(その時点でコロナと判明)。



 その2日後あたりから、私はのどが痛くなった。イガイガする感じ。まあ、このレベルの痛みなら、年に数回はあるし、医者には行かない。特に今はインフルとコロナがとても流行っていると連日ニュースになっている。病院に行って、下手に何かもらってきても嫌だし、熱もない。

 

 母とは別々に暮らしている。私は救急車内という空間で2時間ほど一緒に居た。そこで濃厚接触者とは考えもしなかった。だから、母からコロナがうつったなんて、私はその時、まったく想像もしていなかった。

 

 ところが、12日、13日の連休中に更に痛みが増した。夜中も目が覚めてしまう。つばを飲み込むのだって身体をギュッとする感じだ。それが3日ほど続いた。幸い、熱もないし、最低限の家事はこなすことができた。連休明けの仕事も、何とかクリアーした。そもそも私の仕事はパソコン業務が多いし、接客も営業もなく、淡々とやるだけ。念のためマスクを付けて。

 

 すると、先週の金曜日、17日の朝から夫が39度の熱。発熱外来を予約し、検査の結果コロナだった。

「おふくろさんからの流れで来たんだな」

って言われて、びっくり。悪気はないと分かってはいるが、ムッとした私。前日、夫は関西へ出張に行ったが、そのことを指摘しても

「それは100%ない!」

と言い切る。ってことは、私がコロナだったってこと?

 

 でもね‥‥‥。私はのどが痛くても家事をこなしてきたんですよ。その間、温かい飲み物1つも淹れてもらえず、逆に夫に被せられたようなこの事態に突入!

 

 隔離のために、2階の夫の部屋まで食事を運び(しかもお粥だとかうどんなど、別メニューを)着替えを運び、洗濯用のカゴまで用意し、ペットボトルを大量に買い込んでドアの前に置く。そういえば、アイスノンも運んだっけ。

 

 義父の食事も滞ることなく作って届けました。すると、熱が下がって多少元気になってきた時、夫は携帯を使って

「オヤジにうつしてないよな?」

って言ってきた。

「ハッ?知らんがな!」

ですよ、私としては。その前に私がのどが痛いと言ったときに

「大丈夫か?おふくろさんから、コロナがうつったかもしれないぞ。オヤジのご飯は弁当でも買ってくるから作らなくていいよ」

とか一言あれば、私はこんな気持ちにはならなかった。

「私がうつしたのかな?ごめん」

って言った(と思う)。

 

 というわけで、家庭内波乱が続いております。私は自分がコロナだったのかもと意識したせいかなのか、急にだるくなった。

「夫はただ寝てるだけで、いいなあ」

という不満からなのか、何にもやる気がしない。咳が増えた気もしてくる。

 

 そして、私はただの風邪で、夫がどこからか持ち込んだとしたら、これから私にうつる可能性があるのか、戦々恐々としながら数日が経った。変化なし。

 

 居間でゴロゴロとしていたことが多かった数日間。私はあの『阪神淡路大震災』のニュースもたくさん目にした。1月17日、30年も経つのか、と驚く。その被害に遭われた方々を思えば、私のこんなことなど、かすり傷にもならない。

「私に与えられた試練なのかなぁ」

なんて思い、反省した。東北だって能登だって、九州でも自然災害に遭われて今なお苦しんでいらっしゃる方が多い。

 

 体調も回復してきた昨日、仕事関係で若い男性と電話で話した。なぜか今回初めて長電話になった。

 

 彼は神戸出身ということで

「大震災の時は大変だったでしょう?」

とお聞きしたら、

「まだ生まれていません」

と言われてしまった。そうだ、そうだ、彼はまだ20代だったわ。ところが‥‥‥。

 

 彼のおかあさんが西宮の方で、若い頃、とある企業の関西支店にお勤めだった。独身だったおとうさんは、その同じ企業の東京支店で働いていた。そして震災が起こった。人手も必要と、おとうさんは関西に呼ばれ、そこでおかあさんと知り合ったというのだ。震災が繋いだご縁なのだ。そして結婚し、彼が生まれた。さらに驚くべきことに、彼の誕生日は1月17日だと。

 

 震災は辛い出来事ではあった。壊されたものたくさん、目に見えないダメージもいっぱい。一方で、そこからも生まれることがある。前に向こうとする力がある。


 心を正して、日々大切に過ごそうと思った。不満ばかり言ってちゃダメだね。まだまだ学びの必要な私だ。