母がリハビリ中心の病院に転院した。一歩大きく前進できてうれしく思う。

 

 さて、2か所の病院で先生にも看護師さんにも言われた。

「この状態で突っ張り棒2本のレンタルだけで 1人で生活してきたことに驚きです」

 

 当初の医師の判断では、リハビリに3ヶ月とのことだった。立ち上がるにも何かにつかまる。歩くのも人の手が必要。それを見たら、そういう判断が出てもおかしくない。

 

 家では、毎朝シルバーカーで散歩し、おつかいもして、食事の支度もして、洗濯、布団も干していた。見知った人が来れば、お茶も淹れる。けれど、座った状態から立ち上がる時はテーブルに手をかけるし、室内を歩くときもほとんど壁を伝ったり、物につかまる。2階にも上がるが、1段ずつ手をついて上り、下りる時には後ろ向きで。もともと慎重な母であることも大きく関係しているかもしれない。

 

 それを先生にお話ししたら、

「そういうことでしたら以前の状態に戻るまでのリハビリはもっと短いかもしれません。何でもこなしていたと伺っていたので」

ということだった。

 

 「突っ張り棒2本のレンタルだけ」って、最初は母が褒められた気がして、喜んだ。なんたって、90歳、私だってすごいと思っている。良くも悪くもとても気丈な母だもの。


 が、すぐに、それをそのままにしてきた自分を責めた。言い訳になるが、母は特に防犯に関しては神経質なところがあるから、他人が家の中に入ることを極端に嫌う。何度も

「ヘルパーさんといってお手伝いしてくれる方がいるから申し込んでみようよ」

と誘うが、

「そういうのはいい」

と断られてしまう。

 

 結果、認定は『要支援2』どまり。そして、この度先生方の強い勧めでケアマネさんに認定の見直し手続きを進めていただくことになった。。

 

 さて、母には今度こそ家に戻れるように頑張ってもらいたい。同時に何もしてこなかった自分を恥じ、私は今、実家の片付けをしている。

 

 ガスコンロ、大物の洗濯、どこも見て見ぬふりをしてきた自分に改めて気づく。こびりついた汚れは冷蔵庫内にも。古い掃除機は絨毯の埃をなかなか吸い取ってくれない。

 

 そういえば、父が亡くなってすぐの頃

「私1人ではこの家は広すぎる」

とずっと母が訴えていた。いじめているわけではないが私ら子ども3人は、そろって矢継ぎ早に質問し、意見する。

「じゃ、どこかアパートとかマンションに引っ越すってこと?」

「今から小さく建て替える?そしたら、一旦荷物もすべて運び出して、別のところに住まなくちゃならないんだよ。お金もかかる」

「どっちにしたって、おかあちゃんの好きな庭いじり、お花の手入れもできなくなるし、きれいなお花も見られないよ」

「アパートにしたってマンションにしたって、ベランダでのお花はほんの少しだよ」

「まずは、要らないモノ、捨てなくちゃ!」

母は黙ってしまった。

 

 掃除の手が届いていなかった。母はそうなることをわかっていたのだ。近くに住む私が何とかすればよかったものを毎週のように行って、ボードゲームとトランプに興じていた。

「おかあちゃん、ごめん。退院までには見違えるほど綺麗にしておくから」

 

 勢いが加速し、何十年と張り替えていないであろう障子の張り替えにも手を付けた。それは、玄関のガラス窓の部分にあった。そんな箇所であるから、破ることもないし、放置されて、和紙はすっかり変色していた。

 

 まずは桟に水を付けて古い障子紙をはがす。それは、びっくりするほどきれいにはがれた。おそらく元気だったころの父が張ったものと思われた。几帳面な父だった。私の張り方を見た時

「beachan、糊のつけすぎだよ」

と言われたっけ。

 

 亡くなった父が使っていた物や着ていた洋服は今でも目にすることがある。が、父が生前おこなったことの実際の痕跡を目にすることはそうそうない。

「糊は少な目だよ、beachan!おかあちゃんをよろしく」

 

 そんな風に父に言われた気がした。