先日、母の薬を薬局で受け取り、そのまま実家へ届けに行った。すると、疲れ果てたような表情の母が座り込んで
「待っていたんだよ。良かった、来てくれて」
を繰り返す。
で、何に困っていたかというと訪問美容師さんに電話して予約を取りたいが、電話のかけ方がわからなくなったと。そういえば、母はしばらく電話をかけていないと思う。
私は焦る。認知症の3文字の言葉が頭をよぎる。今までできていたのに、なぜ?母は何度か妹や私にも電話をかけようとしたらしい。2人の番号が書いてあるメモがテーブルの上に広げられていた。補聴器も付けていた。
私は
「おかあちゃん、一緒にやってみよう」
と言って、要らなくなったカレンダーの裏に電話の子機の絵を描き始める。この絵だって、過去に描いたはず。どこかにあるはず。
「いい?まず、ここを押して、相手の番号を押す」
母の手に電話の子機を握らせて、説明する。同時に紙に大きくやり方を書く。一緒にやってみる。
「私が自分の携帯で出るから、かけてみて!」
とその場から離れて、別の部屋へ行く。
うんともすんともコールは鳴らない。母のところへ戻ると
「わかんないんだよ、できないんだよ」
と何もしていない。
「だから~!この紙に書いてある通りにやってみてよ。何がわかんないの?」
もう私はほとんど詰問口調。半分怒鳴っている。
以前、インターフォンの時にも私は同じことをやっていたのを思い出した。
あの時も
「ピンポンを鳴らしてもおかあちゃんが出てこなかったら、私は帰るからね。悲しいけど、せっかく来ても会わずに帰るからね」
なんて言っちゃって‥‥‥。今ではすっかり鍵を使ってズンズンと家に入っている。私がインターフォンを鳴らすことなんてなくなった。
それなのに、今回も挙句の果てに口に出てしまった。
「おかあちゃん、電話がかけられないんだったら、もう電話機も要らないよね。どうせ怪しい電話がかかってくるだけだし。使ってなくたって、基本料金が引き落とされちゃうもの。電話、やめる?」
なんと意地悪な物言いだろうか?母は黙ってうつむいていた。でも悲しいとか情けないとか、そんな表情ではなかった。母らしい、きりっとした目だった。
赤ちゃんや幼い子が昨日できなかったことが急にできるようになる、そんな時周りの人間は喜びでいっぱいになる。反対に高齢者はできないことが増えていく。物覚えも悪くなり、思い出すことの大変さよ。自分自身だったら、受け入れるのはそれほど難しくない。
「あ~ぁ、腰が痛いなあ」
「目が見にくい」
「あれ?スマホどこに置いたっけ?」
「この女優さんの名前、なんだっけ?」
これら、日常茶飯事だ。
それなのに、私よりずっと年齢のいった母のことなのに、それを受け入れるのが難しいってどういうこと?いつも元気に働き、私たち子どものために労力を惜しまず育ててくれた母。その母だからこそ、私は
「こうあってほしい」
「いつまでも何でも自分でできる元気な母でいてほしい」
になるのか?
どうして言えなかったのだろう、美容院の予約など、3~4カ月にたった1度のことだ。
「わかったよ。これからは私が電話するから髪の毛をきれいにしてほしかったら、私に言ってね」
どうしてそういう優しい言葉が出てこなかったのだろう?
