小学生の夏休みの宿題について、毎年必ずと言っていいほど話題になる。

「子どもの宿題じゃなくて、親の宿題のようだ」

それだけ量が多いのか、子どもだけにやらせることがハードなのか、親の叫びのようだ。

 

 私の子どもらの小学校は1年が3学期に分かれており、それぞれの始めと終わりに保護者会があった。2学期の最初の保護者会は9月半ばに行われ、話題は「どんな夏休みを過ごしたか」になる。当然、教室内には工作やら研究やら絵などが飾られ、お話の中でも『自由研究』がのぼることも多かった。

 

 私には忘れられない自由研究が2つある。子どもらのクラスメイトのものだ。1つは、お菓子の紙箱の中に、セミの抜け殻をボンドでくっつけて、「せみ」と文字にしたもの。お母さまのお話によると

「お勉強も苦手だからもちろん研究らしきこともできず、田舎の自然豊かな祖母の家に泊まりに行った時、ひたすらセミの抜け殻を集めていたので、それを形にしました」

とのこと。

 

 私はその子が一生懸命にセミの抜け殻を探している姿を想像して、愛おしくなった。数は50個ほどだったと記憶している。

 

 もう1つは、ある男の子がおばあちゃんと取り組んだもの。彼にはお母さんがいなかった。おばあちゃんはいつも彼のことを心配していた。どんな時も全力で寄り添っていたように思う。保護者会や行事の際には必ずいらっしゃる。お誕生日会なども開いていた。


 ある時は、そのおばあちゃんがジュースやコーラなどの大きなペットボトル数本を重そうに下げ、片方の手には、ポテトチップスなどの袋菓子をたくさん持ってスーパーから出ていらしたのを見た。

 

 そんなおばあちゃんのアドバイスもあったことと思う。

「とうもろこしのひげと粒の数は同じ」

とは、私も聞いたことがあったが、それを実証してみたのだ。画用紙にとうもろこしのひげが何本かずつセロテープで貼られていた。数は同じではなかった。でも大きく違ってはいなかった。同じでなくともやったことは評価に値すると思う。

「出荷の途中でひげが切れた」

「数えている時に切れて失くしたり、数え間違いもあるかも」

と結論付けていた。

 

 私はそのおばあちゃんの努力に頭が下がった。息を殺してあの目にもよく見えなくて、風ですぐに吹き飛ばされそうなとうもろこしのひげを丹念に数える。気の遠くなるような作業だ。彼はおとなしくて、どちらかというとそれほど何かに興味深く取り組むタイプではない。おばあちゃんの提案に「いやだ」とも言えずに従っている姿が想像できる。それもそれですごいことだ。

 

 私には今、ちょうどその時の彼の年齢ほどの孫がいる。祖母として、できるだろうか?そういうこと‥‥‥。そして思った。確かにこれでは本人の『自由研究』ではないかもしれない。でも子どもの心に

「あの時、パパとやったな」

「大変だったけれどおかあさんと図書館行ったな」

「おばあちゃんとやった研究が今でも手元に残っている」

そういうことがある夏休みを過ごせることは良い経験なのではないか?そして、幸せなことなのではないか?

 

「これは1人でやった宿題じゃないね!」

「セミの抜け殻集めは研究とは言えません」

と咎める先生はいないと思う。