「今の若いパパママの子育てはどうなっているんだろう?」

有子には最近よく見かける光景がある。公園のベンチで、商業施設で、街中のあらゆるところで‥‥‥。泣きわめく赤ちゃんとパパ、もしくはママの姿だ。それが、ベビーカーに乗せられたままとか、抱っこしているけれど親の目は別の所を見ている、とか。どうかするとスマホを見ている。

「泣き止ませる努力はしないのか?赤ちゃんが泣くのは何かを訴えているということだから、泣くことは悪くはないんだけれど」


 「うるさい」

とは思っていない。子どもの好きな有子だ。そこに寄り添うことをしない親が気になるのだ。

 

 そういえば、真央が小さい時も夫は抱くだけでテレビに夢中だった。

「背中をトントンとたたくとか、立ち上がってゆらゆらさせるとか、することはあるでしょ!」

キッチンの洗い物をしながら、夫のその行動にイラつく。

 

「どうしたの?」

「大丈夫だよ」

理解できなくても声をかけようとか、かけてみようとかもしなかった。有子だったら、泣き声が気になってテレビの音も聞こえないと思うのだが、彼はまったくお構いなしでドラマに夢中だった。

 

 「オレでは泣き止まない。やっぱり最後はママだよ。おっぱいは強いよなぁ」

って……。泣き止ませる努力もしないで、おっぱいのせいにしないでよ!そんな言い分あります?

 

 ところが、保育中、最近違うと気づいた。有子がどんなになだめても泣き止ませることができない。落ち着かない子が増えてきているのか?

 

 有子は、その昔、得意だった。叫ぶように泣いていても、我が子じゃなくても背中を優しくさすりながら、気をそらせるようにする。

「あ!見てみて!お花がきれいだねえ。赤いお花だよ」

「自動車が通るよ。ブッブーって通るよ‥‥‥あ~ん、行っちゃった‥‥‥。『バイバーイ』だね」

「○○ちゃんはいい子。エーンエーンしないよ」

 

 小さな手をとって一緒に振ったりする。背中を優しくトントンする。泣き声がだんだんと弱まる。そうしてしばらくするとすっかり泣き止んで、先ほどの訴えはなんだったのか、有子の腕から抜けて、自分で行動したがる。そのまま腕の中で眠ってしまったこともある。

「なにを言いたかったの?」

と思うほどだ。ところが、最近はその技が通用しなくなっている。

 

 有子の子育ては、自分が母にしてもらったようにしてきた。娘の真央は平成生まれだが、母が自分にしてくれたことを思い出し、そこに平成時代を融合させた感じだ。つまりは、ひと世代前の子育てと時代とをマッチさせるってことだ。ところが、今は時間の流れが速すぎて、世の中の変化が大きすぎて、それらが通用しないのだ。

 

 「令和の子育て」はどうすればいいのか、有子にはまったくわからない。それでもどこか、なにか、「手をかけること」が薄くなっていると感じる。そしてその分だけ、「お金をかけること」が大事になってきていると感じる。

 

 時代に逆らっても仕方がない、それが有子の本音かもしれない。

 

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