4月8日、花まつりの日に…

今日、伝えたいのは…

在ることの感謝…なんだよ。
在る、在る、在る…全部在る。
だから、全てが在るんだよ。
『存在』…だから…
目の前の物も全てが…
だから、目の前の物が有難くて、
ただ感謝する。

今、目の前に現れているんだから…

有難いよね。

それは、全て同じなんだ。

だから、全てに手を合わせるのね。

それを、古人は、

森羅万象に宿る八百万の神として

祀ったのね。

神霊が宿るとも言う…

それで皆でお祝いして楽しむ…お祭りで…

それは人格神ではないよ。そこに

差別化はない。

それが日ノ本のエネルギー…

今日はそんな感じのエネルギーが

来てるよ。




『般若心経』の解釈の一部ですね。。
やっぱり、深いなあ…と。。

一切智者に敬礼きょうらいする
観自在菩薩は、深遠なる「智慧の完成」の修行を行じていたとき、五つの要素(五蘊)がある、と見られた。そしてそれらは本性が空であると見抜かれた。

シャーリプトラよ、この世界では、物質とは空性であり、空性とは物質にほかならない。物質と空性は別々のものではなく、空性は物質と別々のものではない。
物質であるもの、それは空性であり、空性であるもの、それは物質である。
感受作用(受)・概念作用(想)・意志作用(行)・認識作用(識)(=五蘊)も同様である。
この世界では、あらゆる現象は空性を特徴とするものであり、生ずることもなく、滅することもない(=不生不滅)。汚れることもなく、汚れを離れることもない。欠けることもなく満ちることもない。

シャーリプトラよ、それゆえに空性にあっては、物質はなく、感受作用、概念作用、意志作用、認識作用はない…


自分の肉体は固定化されたものではないんですよね💦それをすごく感じた。
素粒子レベルでは、どんどんと入れ替わってる。だから、自分の身体でさえ、固定されてないんだよ。それだけ自由性があるのね。
だから、意識の本質がわからない人でも、
そのへんを真剣に考えてみてほしいと思う。だから、内側に意識を向けると、
素粒子が出たり入ったり、消えたり、現れたり…と。まるでマジックの世界だね。
ふと、思ったんだけど…
私の身体、宇宙に広がれ…って。
そう意図すると、そうなってる。
そして、それは、「私」という固定化された身体は本当はないんだよ…って。
今、見えているこの小さな肉体が、自分の身体ではない。
宇宙に広がっている身体は、隣の人も突き抜けているだろうし、動物も植物も物も全部突き抜けている。
ということは、逆に言えば、それらもある意味「私」の身体だということになるね。
究極的には、全部が「私」の身体ということになるよね。それが、宇宙=私…っていうことかな。そういう見方…



250330

私たちは、舞舜、舞舜、「空」という全てがあって、一見何も無いスペースのキャンバスでそれぞれが自由にデザインして創造世界を創り上げている。自由…スペースは、デザインは、無限に存在する。

それは、集合意識であり、個々の潜在意識であり、顕在意識でと。そして、それらの複合意識として…

それが、生命そのものの活動なのだと。

そこに一切の制限は何も無いのだと。。

だから、私たちは、ただ自分という生命そのものを常に感じていればいいんだよ。

私たちは、常に「空」であり、その「空」の「生命」そのものなのだから。


今の私、1時間後の私、2時間後の私…

その時の私がある。

1時間前の私、2時間前の私…

どこにある?

ただ、そういう記憶の中だけ…

世界の中の私は常に今だけしかないから…

今、私は…あなたは…幸せ?

それがその時、どんな感情、思考が湧いてきても…

それはその時の完璧なドラマの中のシーン

なんだ。

必要だから、完璧に現れただけなのね。

それは、絶対バランスの中で、現れるべくして現れただけなのね。

だから、その時の私がどんなでもいいの…

ポジでもネガでも…

常に常に完璧だから…

私はあなたは…世界の中の完璧なバランスの一部だから…変える?じゃなくて、

変わる…のね。

それを受け入れるのが…あるがまま…

ってことだから。

それが自然そのまま…ってことだから…

だから、私たちは、初めから自然の一部、

この世界という現れた景色の一部なんだよね。





「私」がAという行動を取ると、Aに対しての結果の世界が完璧に現れる。その時の「私」は、Aという行動を取った私とは別人格なのです。

つまり、その時、その時で、続いてると思いこんでいる「私」は、本当は切り離していいのです。

全体のエネルギーは、瞬間、瞬間に一斉に同時に現れてきます。この「私」も含めて…つまり、それがパラレルの秘密です。

見方によっては、それは目の前にパラレル世界が現れたことと同じだから。

ただ、その時の私はその前の私とは本当は別人格なのです。記憶、思考の思い込みが続いてるという時間の概念で錯覚させられるのです。

だから、本当は、瞬間、瞬間で絶えずパラレル世界は現れているのです。

でも、そこに気付けないのは、思い込みゆえで、パラレルとかスピの気づきが深くなればなるほど、パラレルに気づき、全く別のパラレルが現れてきやすく、自分の意思による願望実現のパラレルを起こしやすいのです。