「世界のために働こう」 | 僕たちの修行時代:ブログアーカイブ

僕たちの修行時代:ブログアーカイブ

渡邉文隆のブログのアーカイブです。2005年~2009年の分です。

僕の住んでいた学生寮は、海外研修に行って現地の人のためにボランティアをする学生が多い。


土曜日も、ウガンダとインドネシアで研修していた学生時代の後輩たちが帰国して、いま東京にいるということを聞いたので、会いに行ってきた。


肌の色も黒く心もたくましくなってきた後輩、行く前よりもずっと謙虚になった後輩、「必ずアフリカに帰る」と言っている後輩、これから自分が取り組もうとしている日本での活動に意欲を燃やしている後輩…。


ウガンダではエイズと貧困、インドネシアでは津波の被害を直視してきた彼らの目は、日本ではなかなかお目にかかれないくらい澄んだ目だった。


「誰かを助けたい」と本気で想ったとき、人間の表情というのはこれほどまでに美しくなるものなのか、と驚いた。



また、嬉しいことに「昔、先輩がこんなことを言っていましたよね、それを1年間考えていました」というセリフを聞いて、自分の伝えようとしていたことが、少しでも彼らの心に入っているということを知ったりもした。


人はいつか死んでしまうけれど、誰かに本気で伝えた想いは、その誰かからまた別の誰かに伝わっていきさえすれば、永遠に残る。大げさかもしれないが、そんなことをふと考えた。


彼らと別れたあと、輝くような彼らの表情をまだ目蓋の裏に感じながら、爽快に晴れた青空の下の新宿を歩いた。


自分は、帰国したときの想いをまだ持っているだろうか?と自問自答する。答えようとして笑ってしまった。あまりにもその想いが自分にとって当たり前になってしまっていて、それが帰国したときからの想いだったなんて忘れていた。


僕も必ず、自分なりの方法で、あのとき出会った人々に貢献してみせる。



偶然だったが、家に帰ると5年前にブラジルで会った友達からメールが来ていた。ブラジルのスラムで働いていた女の子だ。

なんと帰国してから結婚して、だんなさんの仕事の都合で昨年末からまたブラジルに住んでいるという。


そして、また5年前と同じスラム街で働いているという。


驚いていると、別の友達から久々に電話が来た。在日ブラジル人に関する法律問題に取り組むために、法科大学院で勉強している人だ。


その人とひとしきり笑い話をして電話を切ったあと、思った。


ひどい世の中だと思うことはたくさんあるけれど、それと同じくらいたくさんの人が、より望ましい世界を創ろうと世界中でがんばっている。


帰国してから何年経ったとしても、この世界のどこにいても、自分もそんな人のひとりでありたい。