ライフコーチをしているTakiと申します。

 

コーチという言葉はよく、スポーツの指導者に使うことが多いですが、

語源は、中世後期のヨーロッパ、ハンガリーの町、コチ(Kocs)で

製造された馬車を指す言葉だったようですが、この表現が英語にも取り入れられ

馬車を【Coach】(コーチ)と呼ぶようになりました。

 

そしてその「コーチ」(馬車)の意味が、人々を別の場所へ運ぶ手段と同様に、

人々を知識や技術の面で別の、より進んだ状態へ導く人を指すようになりました。

そのため現代では、スポーツ、ビジネス、健康などの分野で目標達成を

サポートする専門家を意味する用語として用いられるようになりました。

 

その言葉にライフを付けると、人生のコーチという意味になりますが、

なぜ私が人生のコーチを志しているかと言うと、人生にこそ、コーチが必要だと

考えているからです。

 

なぜそう思うかというと、人は、自分を本当の意味で客観的に見ることは物理的に

出来ず、もし隣に的確に自分のことを教えてくれる人がいたら、自分のことを

より冷静に、わかりやすく気づき、知ることができます。

のび太くんにとっての「ドラえもん」のような存在でしょうか。

 

「ドラえもん」という物語は、のび太くんというパートナーがいるからこそ、

存在意義が生まれ、のび太くんが本来の自分として喜怒哀楽を味わいながらも

逞しく生きていく姿をいつも隣でサポートすることに生きがいを感じている

ネコ型ロボットの話です。

 

どちらの存在にも優劣はなく、のび太くんは自分の人生を逞しく生きることが

役割であり、ドラえもんは、のび太くんが人生を逞しく生きるためにサポートを

することが役割です。

 

そしていずれは、誰もが、誰かにとってのドラえもんになれる世界が優しいなと

思っています。

 

話を戻します。

人は、自分を客観的に見ることが難しいからこそ、

何かと対峙をして、自分に気づきます。

もしその対峙する相手が、本来の自分を解放するために存在していたら、

どうでしょうか。

 

私は、今まで自分自身に対する劣等感で数十年苦しんできました。

様々なことに挑戦しては挫折をし、考え込んでは自己嫌悪に陥り、

立ち直ることができずに、しばらく停滞していたこともありました。

 

その時期があったからこそ、とことん自分に悩み抜いたからこそ、

そこから立ち直り、自分と向き合う人生を始めてからは、

同じように自分に対して悩んでいることがある人がいたら、

隣でサポートをしたいと思うようになりました。

 

その突き詰めた役割が、ライフコーチでした。

呼び方は様々あると思います。

本当は「ドラえもん」と呼びたいところですが、

ドラえもんほどの愛嬌と、4次元の力は持ち合わせていません。

しかし、のび太くんへの愛のように、誰もが本来の自分として、

豊かな人生を送ってほしいと心から思うようになりました。

 

ドラえもん愛を語ったところで、今日はこの辺で終わりたいと思います。

 

「ホッと一息、今日もお疲れ様でした。」