ジェミニ(AI)でメガネをかけさせられた
うちの姫さん。
なんか性格も変えられたような…
しんどい話が苦手な人は
すぐに記事を閉じてください。
二十歳で鬱の診断を受けて
休学した後
なんとか大学は卒業しました。
あの頃のことはあまりよく覚えていませんが
その後
気が張ってるから今は動けてるだけで
だんだん動けなくなるし
そこから二度と体力は戻らない
と娘が宣告されたことについて
何か手立てがほしくて
何度か診察を受け直したし
それでもちゃんと暮らせてるという人の
噂を聞いては
会いにいって話を聞かせてもらいました。
手立ては見つからず、
誰もが同じ見解でした。
わたしは起きて普通に過ごすことは
できないし(2/2追記)
働けるようにならないし
家族の手を借りて生きていくしかない、
親しか頼れないなら
親に頼るしかない。
明言は避けられましたがね、
親の寿命までに
自分で自分を始末しなきゃいけないことだけ
決められてしまったと、
わたしは感じました。
ただね、、
なかなかヤクザな言い方の医師が言うには
怪我にだって
すり傷から
手足を切り落とすような大怪我まである、
過労も同じで
本当は保護して手当してってのがいるのに
それすらできないから
そもそもの治りが悪い。
過労なんだから
新陳代謝の余力をすべて、
そちらに回すしかないんだよ。
7年経ったら全身の細胞が入れ替わる
というけど
実際には入れ替わらない、
何人も見てるからわかるんだよ、
ペースはそういうペースでも
外側から優先的に入れ替わるから
見た目だけが元気になって
内側の直らなきゃいけないところが
治らない、
それでゆくゆくは
医者とトラブルんだよ、
生活は
生命維持に必要なものと
楽しみとこ余暇とかそういうのに
分類できて、
必要なものだけに絞って
楽しみを全部我慢すりゃ
そりゃ少しはよくなる。
でもやらんだろ?
我慢できんだろうが。
今まで我慢ばかりの人生だったならなおさら、
それこそ今楽しまんとやっとれるかって
なるじゃねえか。
考え方はいろいろだと思います。
ただ わたしは、
自分の人生くらい
自分で判断していい時間が
ほしかったんです。
ワンチャンあるなら
頑張るしかないじゃないですか。
今までの努力に少し足すくらいで
元気になれるなら
努力くらい、するじゃないですか。
あとは
ちゃんと「いい人」やってないと
自分に失望したら
自分のためになんて
独りで頑張れんじゃないですか。
将来を考えて
家族が一致団結できれば
また違ったかもしれませんが
うちは違いましたからね。
というわけで
今どきの日本人の「当たり前」なるものは
わたしの人生では
一度も経験しておりません。
たぶん、あの決意は
二十代半ばでしたねぇ。
もうすぐ
わたしは48歳になります。
きっちりと努力した結果、
今のわたしは
起きて
自分の足で
歩きまわることができます。
でもその対価として
自分の「好き」を楽しむための時間に
耐えることはできません。
対価を払い終えて
体力が十分に回復すれば
楽しめるようになるそうです。
準備は怠るな、と言われたので
チェックは怠りません。
好きでこんな人生を選んだわけじゃない
ですが、
死に損なった後にしては、なかなかに豪華だ
という感想は抱いています。
ですので
わたしについて
生きているのがとんでもなく楽しそう
という印象を抱くなら
それもまた、的確な印象ではないかと
思います。
あるはずのない時間だったんですよ。
すべて。
常に痛みをかかえているので
それを忘れることはないんです。
わたしが診断を受けた頃は
「そもそも頑張る理由がないのに
頑張りはしない」という
当たり前への敬意がありました。
知識は一応
当時と同じものを持っていても
今は
それがどういうことなのかよくわからない
医師の方が多いみたいですね。
単純にしないだけを
「できない」と表現する人も身近にいるし、
逆に
わたしが医師に
「お前はしないだけだろうがっ💢」
と詰問されるなんてことが
起こるようになりました。
たしかに
頑張りすぎてなる病だけれど
頑張らない選択肢が常にあるわけでは
ないんだけどなぁ。。
過剰な頑張りなんて
好きで選ぶわけがないのに。
さて、
あの頃に何人もいたはずの
わたしと同じ状況だった人たちは
今、いったい
どう生きておられるんだろう。
最近はそれが
気になっています。
