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趣味の真鍮模型作りと気まぐれ日記

真鍮模型製作と日常の出来事

砲輪

何個目だろう

いつ作っても

手間がかかる

六分割の

差し込み組み合わせ

その後の整形

部材が花梨なので

切子がパウダー状

穴埋めには助かります

 

 

砲身形態に関しては

本国仕様にしましたが

前期型

後期型が

有ったようで

後期型は後部補強の簡易型とか

沿革史に残る写真は

後期型と言われているそうですが

本国の写真と資料は見つからず

ただ

クロスレイ装甲車制作時

同じ年代で日本仕様だけ 

細部が違う

これも現実あったのかなと

砲身問題は一時とめ

確実にわかる砲架を先に

いつもの 六分割統合の

車輪枠作り

いつもながら手間がかかる

挿し木した方が

花を咲かせました

全部植え替えた方も

こんなに茂り

つぼみもいっぱい

来月は満開か

やっと復活

わんこは

ストーブをしまい

お気に入りの場所に

 

諸説が沢山あり

伝説が独り歩きか 当時のアームストロング社

後装砲は多重構造の優れものだが 強度不足の欠陥品

弾丸に巻いた鉛の帯ライフル溝に発射のたびに

食い込み次弾暴発の危険多数の内部破裂

結果 自国使用禁止 くしくも南北戦争

南軍に売りつけ終戦後維新戦争の

日本に新兵器として売られ当時は暴発は当たり前の時代

上野戦争 会津戦争で複数門が使用

当時の日本一の技術藩武雄藩が挑戦し

輸入ものベースにバヨネット式等後装砲を試作

多重構造は真似できず試作だけで次世代に

各種文献を纏めると 真相は真実は

古文書等に残る数枚の写真形態

オリジナルと砲耳後部の形態の違い

後部照準器取り付け部の不思議

古写真は口径明示なく6听ではないのではないか

理由は6听9听砲身長はほぼ同じ口径が63.5粍と76.2粍の違い

当然9听は外径が太いはず ただ裏付けの砲尾外径の太い形態の

本国写真が一見つからない

日本に入った砲は3種 12听は砲身長さが大きく違う

ただ 口径は9听と同じ(装薬の違いか)

全体系も12听は大きい 外国と実物ネット検索を

条件を変えながら全て見ても

形態が古文書写真と同じものが無い

皆 砲耳後部のくびれ式 映画八重の桜 監修S氏の

再現レプリカの形態が 本国仕様の形態と一致

砲架は佐賀武雄仕様 これも後部の絞り具合に

少し疑問があり 側板と砲耳軸の取り付けを

考えると 極端な絞りは無かったのではと

この形態も八重の桜レプリカが正しいような気がします

久しぶりの アルム砲 再度 再度検証中

 

佐賀沿革史内写真より

八重の桜記念館 レプリカ (写真転用)

 

 

 

砲身は本国純正仕様に

照準器取り付けも

アームストロング砲

意外と6ポンド実写真がない

容は似ていますが

みな 9听12听ばかり

一見区別できません

佐賀のと言われる

一枚の写真

唯一ですが

本国後期型と一説に

砲耳後方の姿が違います

では

本国の実写真

同じものは一枚もない

図面も絵もない

裏付けが取れない

単なる佐賀の後装砲の

試作品か?

実戦仕様は全て本国製

しかも不良品とか

武雄藩が試作を何種か

装填孔バヨネット式もその一つ

どれも実戦にでず

強度不足で その後不明ですが

それらが 

佐賀のアームストロング砲として

後世に伝えられていたようだ

ようは

複雑すぎて失敗作で

活躍したのは四斤山砲とか

 

 

空いている

倅の部屋が

物置に

非常用と

余分買いだめして

いつのまにか

水も食料も

トイレ用品も

10日分は確保

 

今回は砲身は

英国輸入時に

砲架は佐賀藩仕様に

大型の為

細部に拘りを

佐賀藩銃砲研究家

書誌作者とも

再度の確認をしながら

今回は進めています

なかなか行けなくなりましたが

昨日はやっと

二つの墓参り

鎌倉は桜も咲き

山をまたぎ

横浜よりと鎌倉よりの

お墓二つ

やっと行ってきました

最近は

行くのもつらく

歳ですね

 

砲耳部の溶着

流石に

この大きさだと

細かく分離の上

銀ロウ溶着

それでも 磨くと凹みが

再度 又追加溶着が

必要になる

あまり熱は加えたくないが

30ミリの砲身だと

どうしても分離加工に