真珠湾の影 36
「最後の証言」
1941年12月――ワシントンD.C.
午後2時。
ハリスとジェームズは、エレノアとマーガレットが待つ小さな応接室に入った。
二人の母親は、ハリスの表情を見て何かを察した。
「何か分かったのですね?」
エレノアが尋ねた。
ハリスは椅子に腰を下ろし、調査ノートを開いた。
「本日、特別管理文書室で原本を確認しました。11月25日に、太平洋艦隊の空母配置について、通常の作戦会議とは別の協議が行われていた記録が残っていました」
マーガレットが身を乗り出す。
「空母を真珠湾から移す話ですか?」
「主力空母を真珠湾に集中させない、という提案です。ただし、これは作戦上の判断だった可能性もあります」
「では、攻撃を知っていたのですか?」
「そこまでは分かりません」
ハリスは正直に答えた。
「さらに、12月4日には日本軍の動向に関する情報が受領された記録もありました。しかし、添付されていたはずの報告書が別の管理番号に移されていて、現在の資料には残っていません」
ジェームズが補足した。
「移管先の番号はR-14です。そこを調べれば、何らかの手掛かりが得られるかもしれません」
マーガレットはしばらく黙っていた。
やがて、静かに口を開いた。
「つまり、政府は何かを知っていたかもしれない。でも、何を知っていたのかは分からない。そういうことですね」
「はい」
「それでは、まだ終われませんね」
その言葉に、エレノアもうなずいた。
「私たちは、息子たちが亡くなった理由を知りたいのです。誰かを罰するためだけではありません。二人がどのような状況に置かれていたのか、それを知りたいのです」
ハリスは二人を見つめた。
「必ず調べます」
同日午後4時――海軍省
ハリスとジェームズは、R-14の管理記録について照会するため、海軍省の記録担当部署を訪れていた。
担当官は二人の申請書を確認し、眉を寄せた。
「R-14ですか……」
「ご存じなのですか?」
「番号だけでは判断できませんが、通常の作戦記録とは別系統で管理されていた資料のようです」
「閲覧できますか?」
担当官は少し考えてから答えた。
「移管記録の一部なら確認できます。ただし、報告書そのものは別の部署の管理下にあります」
「では、移管先を教えてください」
担当官は書類をめくった。
「移管先は、海軍情報部の特別評価課です」
ジェームズがハリスを見た。
ようやく、資料の流れがつながり始めた。
担当官はさらに一枚の紙を差し出した。
「これが移管記録です」
そこには、12月4日付で受領された情報の処理状況が記されていた。
-
日本海軍の艦艇活動に関する情報
-
太平洋方面の通信情報との照合
-
情報の信頼性について追加評価
-
関係部署への限定配布
そして最後の欄。
最終評価:未確定
ハリスはその文字をじっと見た。
「未確定……」
「そうです。情報の内容が十分に確認できなかったのでしょう」

担当官は続けた。
「当時は多くの情報が寄せられていました。日本軍の動向についても、さまざまな報告がありました。すべてが正確とは限りません」
「その中に、真珠湾への攻撃を示す情報はあったのですか?」
担当官は首を横に振った。
「この記録からは分かりません」
ハリスは書類を受け取った。
決定的な答えはなかった。
しかし、少なくとも一つの事実が明らかになった。
攻撃直前、政府内部では日本軍の動向に関する情報が複数の部署で扱われていた。
その情報が、どこまで共有され、どのように判断されたのか。
そこには、まだ空白が残っていた。
夜――ハリスの執務室
ハリスは机に向かっていた。
目の前には、これまで集めた記録が並んでいる。
11月25日の空母配置協議。
12月4日の情報受領。
特別評価課への移管。
そして、未確定という最終評価。
ジェームズがコーヒーを置いた。
「少し休め」
「もう少しだけだ」
ハリスは一枚の報告書を手に取った。
そこには、彼がこれまで何度も見てきた言葉があった。
No further action recommended.
追加措置は推奨しない。
「ジェームズ」
「何だ?」
「もし、誰かが危険を感じていたとしても、それが確かな情報でなければ、命令を出せなかったのかもしれない」
「そうだな」
「だが、もし確かな情報を持っていた人間がいたのなら?」
ジェームズはすぐには答えなかった。
「そのときは、誰が何を知っていたのかを調べるしかない」
ハリスは報告書を閉じた。
「そうだな。だが、俺たちは推測を結論にしてはいけない」
彼は新しいノートを開いた。
そして、最後にこう書いた。
An unanswered question is not the same as an answer.
「答えの出ていない問いは、答えそのものではない。」
窓の外では、ワシントンの街に夜が訪れていた。
その頃、遠く離れた日本。
佐藤家の仏壇には、健一の写真と母のお守りが置かれていた。
澄江は、届いた軍からの通知をもう一度手に取った。
その封筒の中には、まだ届いていないものがある。
健一が出撃前に書いた、一通の手紙だった。
それは今も、どこかの郵便物の中に残されていた。
そして、その手紙が澄江のもとに届く日が、少しずつ近づいていた。

真珠湾の影 35
「残された原本」
1941年12月――ワシントンD.C.
午前9時50分。
国務省の建物を出たハリスとジェームズは、向かいの通りにある特別管理文書室へ向かっていた。
ハリスの手には、クレイグ少将から預かった手帳の複写があった。

「いよいよだな」
ジェームズが言った。
「ああ。これで何も出てこなかったら、別の方向から調べ直すことになる」
「期待しすぎるなよ。原本が見られるからといって、答えが書いてあるとは限らない」
「分かっている」
午前10時。
二人は受付で身分証を提示し、担当職員に案内された。
重い扉が開く。
その奥には、番号ごとに整理された金属製の書庫が並んでいた。
担当職員が一つの棚の前で立ち止まった。
「7—12—4。こちらです」
彼は鍵を取り出し、引き出しを開けた。
中には、茶色い封筒が一つ。
表面にはタイプライターで、
SPECIAL CORRESPONDENCE — 7—12—4
と記されていた。

ハリスは息を整えた。
「これが原本ですか」
「そうです。閲覧は許可されています。ただし、記録の持ち出しと複写は禁止されています」
職員は封筒を机の上に置いた。
ハリスが封を開ける。
中には、会議記録、通信処理票、そして数枚の手書きメモが入っていた。
ジェームズが最初の書類を確認する。
「会議日……1941年11月25日」
「出席者は?」
「クレイグ少将、ヘンダーソン、それから海軍情報部の関係者が二名……」
ハリスは別の紙を取り出した。
そこには、こう書かれていた。
Subject: Pacific Fleet — Carrier Disposition
太平洋艦隊・空母配置に関する協議
そして、その下に手書きの一文があった。
Recommend avoiding concentration of principal carriers at Pearl Harbor.
「主力空母を真珠湾に集中させることは避けるべきである、か……」
ジェームズがつぶやいた。
「クレイグの証言と一致するな」
「問題は、その次だ」
ハリスは紙の下部を指さした。
そこには、別の記録番号が記されていた。
Intelligence Assessment — Pacific Operations
さらに、右端には赤鉛筆で短い指示があった。
Separate review requested.
「別途審査を求める……」
ジェームズの表情が変わった。

「空母の配置に関する協議と、日本軍の作戦に関する情報評価が、同じ文書群に入っている」
「そうだ。ただし、これだけでは両者が直接結びついていたとは言えない」
ハリスは次の書類を取り出した。
それは通信処理票だった。
日付は12月4日。
記載されていたのは、太平洋方面から届いた日本軍の動向に関する情報の受領記録だった。
しかし、肝心の添付報告書がない。
その欄には、
Attachment transferred under separate authority.
と記されていた。
「別の権限に基づいて添付資料を移管……」
ジェームズが読み上げる。
「どこへ移されたんだ?」
ハリスは処理票の右下を見た。
そこには小さな番号があった。
R-14
「これが移管先の記録番号だ」
二人は顔を見合わせた。
「つまり、報告書そのものは別の場所にある可能性がある」
「そうだ。だが、もっと重要なことがある」
ハリスは最初の会議記録と通信処理票を並べた。
11月25日――空母配置に関する協議。
12月4日――日本軍の動向に関する情報の受領。
12月7日――真珠湾攻撃。
「この資料が示しているのは、攻撃前に情報が扱われていたということだけだ。真珠湾が攻撃目標だと知っていた証拠ではない」
ジェームズは静かにうなずいた。
「それでも、調べる価値はある」
「ある。次はR-14の移管記録だ」
そのとき、担当職員が時計を見た。
「閲覧時間は終了です」
ハリスは最後に、書類の裏面を確認した。
そこには、別の人物のイニシャルが記されていた。
R.H.
ロバート・ヘンダーソン。
ハリスはその文字を見つめた。
彼はこの情報の流れを知っていたのだろうか。
それとも、単に書類を受け取っただけなのか。
まだ分からない。
ハリスはノートを閉じた。
「行こう、ジェームズ」
文書室を出た二人は、冬のワシントンの街に立った。
ジェームズが尋ねる。
「次はR-14だな」
「ああ。ただし、もう一つやることがある」
「何だ?」
「エレノアとマーガレットに、ここまで分かったことを伝える」
「まだ結論は出ていないぞ」
「だからこそだ。彼女たちには、事実と推測を分けて伝えなければならない」
ハリスは手帳をポケットにしまった。
「彼女たちには、真実を知る権利がある」
二人は国務省へ向かって歩き始めた。
その背後で、冬の風が街路樹の枝を揺らしていた。
真珠湾の影 34
特別管理文書室
1942年1月。ワシントンD.C.
ハリスは、特別管理文書室への閲覧申請を提出した。
しかし、返ってきた回答は予想外のものだった。
「申請は受理できません」
担当者は淡々と告げた。
「なぜですか?」
「該当する文書は、通常の閲覧手続きの対象外です。閲覧には上級管理者の承認が必要になります」

「では、承認を申請します」
「申請自体は可能ですが、許可される保証はありません」
ハリスは引き下がらなかった。
「その文書が存在することは確認できるのですね?」
担当者は一瞬、視線を落とした。
「保管先として登録されている記録はあります」
それだけだった。
その日の午後、ジェームズがハリスの机に一枚の紙を置いた。
「例の会議の出席者を調べた」
「何か分かったか?」
「一人、気になる人物がいる。海軍作戦部門に所属していた人物だ。会議の前後に、空母の行動予定に関する照会を複数回行っている」
「名前は?」
ジェームズは紙を指で押さえた。
「ウィリアム・クレイグ少将」
「現在は?」
「退役している。ただ、ワシントン近郊に住んでいるらしい」
ハリスはすぐに立ち上がった。
「会いに行こう」

ワシントン近郊 クレイグ邸
翌日。
ハリスとジェームズは、クレイグ少将の自宅を訪ねた。
白髪の男が玄関に現れた。
「どなたかな?」
「国務省のエドワード・ハリスです。こちらはジェームズ・ウォーカー。1941年の太平洋艦隊の配置について、お話を伺いたく参りました」
クレイグは二人をしばらく見つめた。
「真珠湾のことか」
「はい」
「入ってくれ」
書斎に通された二人は、当時の会議資料の複写を机に置いた。
クレイグは、それを見て眉をひそめた。
「これは、どこで手に入れた?」
「出所は明かせません」
「そうか……」
ハリスは尋ねた。
「空母の配置について、別途協議が行われたことは事実でしょうか」
「事実だ」
ジェームズが顔を上げた。
「協議の目的は何だったのでしょうか」
クレイグは窓の外を見た。
「空母は艦隊の重要な戦力だ。戦艦とは違う。航空機を運用するためには、常に訓練や補給、整備を考えなければならない」
「真珠湾攻撃を予測していたのですか?」
「私は、そのような情報を受け取っていない」
ハリスは資料の下部を指した。
「では、この記録にある『詳細は口頭にて』という記載は?」
クレイグは資料を見つめた。
「軍事上の情報には、文書に残さないものもある」
「誰がその判断をしたのですか?」
「それは答えられない」
「なぜですか?」
クレイグは少し間を置いた。
「私が知っていることと、私が証明できることは違うからだ」
ハリスは、その言葉を聞き逃さなかった。
「少将。あなたは何かを知っているのですか?」

クレイグは立ち上がり、書棚から古い手帳を取り出した。
「これを見てくれ」
手帳には、1941年11月の日付と、いくつかの艦名が記されていた。
その中に、空母エンタープライズとレキシントンの名前があった。
「これは当時の私の個人的な記録だ。空母の行動予定について、何度か変更があったことは記憶している」
「その変更は、誰の命令だったのですか?」
「正式な命令系統に沿ったものだった。ただ、変更の背景について、すべてを知っていたわけではない」
クレイグは手帳を閉じた。
「一つだけ言っておこう。空母が真珠湾にいなかったことと、攻撃を事前に知っていたことは、同じ意味ではない」
ハリスはうなずいた。
「分かっています」
「ならば、調べるべきは配置の結果だけではない。誰が、いつ、どの情報をもとに判断したのかだ」
クレイグは二人を見た。
「その答えは、私の手帳にはない」
国務省 夜
ハリスはクレイグの証言をジェームズと整理していた。
「少なくとも、空母の行動予定に変更があったことは確認できた」
「だが、それが通常の運用変更だったのか、特別な情報に基づくものだったのかは分からない」
「そうだ」
ジェームズは手帳の写しを見た。
「ただ、これで一つ進んだ。次は変更命令の発出元を追える」
ハリスは資料を並べ直した。
そのとき、電話が鳴った。
「ハリスです」
相手は、特別管理文書室の担当者だった。
「閲覧申請の件ですが、上級管理者から回答がありました」
「許可されたのですか?」
「条件付きです。指定された一部の文書に限り、閲覧が認められました」
ハリスはジェームズを見た。
「いつですか?」
「明日の午前10時です。ただし、複写は禁止。内容の持ち出しも認められません」
「分かりました。伺います」
電話を切ると、ジェームズが尋ねた。
「何が見られる?」
ハリスは短く答えた。
「7—12—4の原本だ」
二人は顔を見合わせた。
ようやく、失われた記録の扉が開こうとしていた。