ウットリ_なぜならソコ弱いから
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渋谷系に帰ろう!(back to a time of insanity) 参

バシュッ。
火を点ける音。
漆黒の闇の中に、巻きタバコを銜えた女の顔が浮かび上がり、赤い炎の先を残して消える。
窪みに闇がリキッドのように流れ込んだその顔は、まるで死相のようにも見えた。

しかし、一体、どこまでこの穴倉は続くのか?
僕はこの闇の先に進んで行ってよいものか?
穴は時折広がって部屋になり、多くの男と女が、爆音に巻かれて、汗みどろで踊り狂っている。
生が熱を帯びるほどに、それらを圧して包みこむ闇が、ますます巨大なものに見えてくる。

部屋を抜けると、また回廊。
闇は際限なく奥へ奥へと広がっていき、異邦人の僕には、その奥に死の匂いさえ感じてしまう。
ジュリアーニの割れ窓理論が適用される前のニューヨークは、今と比べて、はるかに危険で、陰惨で、刺激的でありました。
ここに来る前日にも、ホテルからもっとも近い地下鉄駅構内で、銃を乱射する事件があったばかり。
高くそびえたつ摩天楼にも、マンホールから立ち上る水蒸気にも、暗く茂る街路樹にも、交差点でひしめき合うイエローキャブにも、死の断片が薄く張り付いているように見えたのです。

時折、闇ですれ違う黒人たち。
その目は、豹のように爛々と輝いて…。
君たち、そこのトイレで、一体何を、お鼻に入れてきたの?

何度か耳にすることがあった伝説のクラブ、The Tunnel。
闇こそが君臨するこのクラブの中を際限なく歩き回りながら、僕は自分が以前やりかったことが、はるかにスケールが大きく、あっさり実現していることに、驚いていました。




そういえば、先日に、足を向けたParadiumも。
戦前に建てられた歴史ある劇場を、磯崎新氏の設計で改修し、現代的なテクノロジと、キッチュさなどを、ギューギューと詰め込んで再生させた超巨大クラブ。
壁面にはA.ウォーホルやK・ヘリング、バスキアの巨大なディスプレイが飾られ、多面モニターには、ミュージックビデオに混じって、ナム・ジュン・パイクのアートが流れる(当時はまだセンセーショナルなテクノロジでありました)。
天井から吊り下げられた檻には、肉体改造をほどこしたドラッグクィーンが踊り、巨大なクラブにこもる熱気は、天井を外したら、夜空高く吹き零れそう。
爆音で流れるDeee-Lite のGroove is in the Heart を聞きながら、僕は嫉妬し、戦慄し、そして、癒されていました。

こんな風に遊びたいな…、また。




いやいや、遊んじゃいかん。
当時、週末になると僕は、郊外の新築マンションや、デパートやショッピングセンターのインテリアの展示会に、しばしば足を運ぶ生活をしていました。
新しく出会った彼女に手を引かれて。

同じ歳の彼女は、家庭への将来設計をしっかりと持っている子でした。
自分にも良き妻となるための習い事や習慣をいっぱい課していて、ときに素晴らしい料理を振舞って、その成果を示してくれるのです。
実家の経済事情に余裕があった彼女は、すでに親から、マンションの頭金を援助してもらう約束を取り付けていたようです。
東に洒落たマンションがあれば飛んでいき、西に夜景が綺麗なマンションがあれば真偽を確かめ、南にお買い得な中古マンションが出ればお値打ち感を検討し、北に間取りが広いマンションがあれば、通学・通勤が楽かを検討するのです。
僕は、そんな彼女に付き従い、まるで遠い人の人生のように、事の成り行きを見守っていたのです。

研修でアメリカに行っていたじゃない?
うん。
何か面白いとこあった?
面白いとこ?

あったよ。
僕が以前求めた面白さの断片が、商業主義のリボンを添えられ、アートを無造作に配置して、規模は100倍近くに拡大されて、あのブロックにも、このブロックにも…。

そんな胸の中の言葉を飲み込んで、僕は彼女に答えました。

危ないとこだよ、とっても、とっても危ないとこ。
面白いとこは?
うーーーん、無いかな…。

ふーーーん。
彼女は、見本のソファに体を沈めて、期待はずれだったろう僕からの味気ない返答に、小さく頷いていました。



面白いとこ?あるよ。
男は答えた。

男は、自分と同じく190にも近い体躯。
いや、男はましてがっちりしているので、僕より全然大きく見える。
彼は仕立ての良いスーツを身に着けながら、顔には新入社員とは思えないワイルドな髭をたくわえている。

お前、久しく顔を見せなかったじゃん?
そうだな。
日本にだって、いっぱいあるよ。お前が浦島太郎になっているだけだよ。

彼はタバコの煙をゆったりと吐き出す。
ニューヨークなんて目じゃないって。

彼は、学生時代から、六本木や麻布の界隈では、少しは知られた存在だった。
松涛の大邸宅は遊び人たちが集まるステーションだったし、両親は彼を金でお守りをしたので、彼はそれをジャブジャブ使って、学生とは思えないような放蕩をし、その豪傑っぷりが人々の口端にものぼっていたのです。
だから、彼が、自分と同じ会社に入っていたことを知って、自分はとても驚いたのです。


お前も今度、うちに来いよ。
いや、もうそういうのはいいよ。
違うんだって。単に遊びに来る奴はもう家にいれない。尖がった奴だけで集まっているんだよ、今。

髭の下に、にやりと人懐こい笑みがこぼれる。



お前も入れよ。歓迎するよ。
(続く)

渋谷系に帰ろう!(back to a time of insanity) 弐

人間は一生、迷いから抜け出ることのない存在かもしれません。
それでも、皆さんの人生の中にも、自分が格別にぶっ壊れていたな、と思う時期ありませんか?

迷いの切っ先が、もっとも鋭く光った季節。
自分という領界の外へ外へと、遠く走り出すことに焦がれた歳月。
現在の自分と、ある部分は切り離され、ある部分は深い傷跡を残す、輝かしくもおぞましい時間の束。

生来、自分はエピキュリアンワールドに、魂を蕩尽させたがる傾向があり、多くのヤンチャを垂れ流してきました。
しかし、'90年代の前半。
ここにて、一つの極北を走ろうとしておりました、わたくし。
今、遠くその時期を振り返り、その熱狂を懐かしみ、一方で面食らってもいます、未だに。



セカンド・サマー・オヴ・ラブ。
1980年後半のイギリスで起きたフロアムーヴメントは、徐々に世界に染み出し、彼の地で遊んできたアーティストやオーガナイザー、また兵役忌避者の放浪イスラエリーたちを経由して、日本にもその火種が点され始めていました。
この国の基調はすっかりバブルでテケテケだったけれど、イビサやゴアから放射された閃光は、当時のフロアに集まった、新しモノ好きの目の端を射抜いたのです。
六本木WAVEには、フランキー・ナックルズやデリック・メイなどのシカゴ、デトロイトテクノの12 inchが並び、芝浦や麻布のフロアに、その新しいビートは脈打ち始めていました。




‘90年代初頭。
その頃の自分は、実はすっかりとフロアシーンとはご無沙汰でした。
そもそもが、人が大勢いて、ワイワイやっているところは、重いなーと感じるたち。
時折、付き合いで六本木や麻布のJ-trip系のバーに顔を出しても、ほとんど長居はせずに、すぐに退散という態でありました。
加えて、ぼくはその頃、傷心であったのです。


学生時代の後期、自分は有志たちと何度かディスコパーティーを企画し、後輩や仲の良い友達のサークルにパー券を撒いてもらって、シコシコとお金を貯めつつありました。
それを原資に、ある勝負に出ようと目論んでいたのです。
パーティーといえば、すこーし小洒落た巨大合コンに過ぎなかった現状。
ここにショックを打ち込むことはできないか?
青二才の僕たちは、徹頭徹尾、アート至上主義で塗りつぶしたパーティーの開催を企図していたのです。

僕たちがフロアに、ありったけの轟音で鳴り響かせたかったもの。
それは、
Beatles/A day in the lifeの衝撃、
Jimi Hendrix/1983... A Merman I Should Turn To Beの無限、
Pink Floyd/Echoesのドローン、
David Bowie/Art Decadeのスタイリッシュさ、
Miles Davis/He loved him madlyの情念、
YMO/ Prologue・Epilogueの倒錯…。
そして、ラストにMahlerのAdagioとともに崩壊していくような、デカダンスなパーティー。
普通の出会い系と思ってやってきた男女を、ハードなアートで取り囲み、一生忘れられないくらいのショックを与えることはできないのか?
そんなテロ的構想に、若造の僕たちは色めき立っていました。
それらを妥協なく実行に移さんと、入念な準備期間をかけて、僕らは約半年走り回っていたのです。




そして。。。!??


言うまでもありませんね。
結局、こんな上から目線のパーティーは、大失敗に終わったのです。
2001年宇宙の旅’の、超人が生成される部屋に移行する、サイケデリックな映像。
それらを、ブイブイと壁面に流すところからスタートさせたパーティーは、夏前の気軽な出会いを求めてきた学生たちを、大いに戸惑わせました。
当初の目的からすれば、その戸惑いをしてやったり!と思わなくてはいけないはず。
しかし、まだ脆弱な僕たちは、自分たちも大いに戸惑ってしまったのです。

気楽なユーロビート、ちょっと進んでもデットオアアライブあたりを求めてやってきた男女の頭上に、冒頭からホルストの’火星(戦争をもたらすもの)’、その不吉な低音が降り注ぎました。
初めはヒューだの、イェィーだの、笛をピーと鳴らしたりだの、何かの珍妙な仕掛けと解して盛り上がろうとしていた皆さまがた。
やがて、彼らは自分たちが求めたものが、終始得られないと気づき、憤り、やがては続々と帰り始めました。

僕たちが前半のハイライトと考えていたジミヘンのメドレーの頃にはフロアはすっかりと閑古鳥。
お帰りのエレベーターの前には長蛇の列。
ガラガラの空間に、ミラーボールが虚しく廻り…。
ラストのマーラーを、ほぼ関係者しかいないフロアで聞きながら、僕はこぼれそうな涙を、周りに気づかれないように必死になっていました。
仲間たちも終始俯き、帰りの片付けは重い重い沈黙に包まれたのです。



エッ!それ負けなの?

結局、前衛の孤独に耐えることができなかった僕たちは、皆を追い詰めながらも、最後は皆と調和する、甘ったるい夢を手放せなかったのです。
なんとも弱いテロリスト振り!



数日後、券を大量に捌いた某先輩が、僕たちを拉致して、制裁するなんて噂まで聞こえてきて、こちとらすっかり弱ってしまい、街の遊び場に登場することは稀になりました。
僕は当時、付き合っていた彼女の部屋に転がり込み、そこに頑なに閉じこもって、残りの学生生活を余生のような心持の中で、過ごしたのでした。

(続く)

渋谷系に帰ろう!(back to a time of insanity) 壱

友たちはいつも青い夜を背負ってやってきた。
夜中の11時を廻る頃、松涛の知人宅に、三々五々に。
車座になりながら、フライヤーやDMや持ち寄った口コミを廻しあい、今回の夜の色を決める。

一番、日常と切り離された場所に行かんとす。
一番、頭の中に光を感じられそうな祭りを探したし。
それ以外、何も考えていないのね、皆さま方。

知人宅は巨大な邸宅ながら、いつもお父さまとお母さまはもぬけの殻。
名士のお父さまは山に女肉刈りに、女帝のお母さまは川に命の洗濯に。
ガランとした巨大なリビングをフロアに見立て、持ち寄ったディスクで、ひとしきり踊りましょう。
夜の高級住宅街。
長い廊下の突き当たりに、赤黒い甲冑の鈍く光る家。

これから朝まで、踊り、舞い、遊ぼうというのに。
あわよくば、After Hoursで昼までも、朽ち果てんとするのに。
これ以上、何をお望みでしょうか、皆さま方。

いわく、それ、僕たち。


さて、時間も0時を過ぎた。
爛々にもなった僕たちは、数台の車に分乗して、蒼い街に飛び出していく。

今宵の蜜はどこにある?
芝浦?麻布?骨董通り?
趣向を変えて新宿でも?
少し飽きたが六本木?
先ほど、Fのグループは、代官山に沈んだとの頼りあり。
合流して、O'BAR 2218に行こうと誘われているけれど、さて、どうする?

シカト、シカト。
こっちはこっちで夜を見つけよう。


刹那にどこまで賭けられるかの徒競走。
ときは、1993年。
世界を席巻した日の丸バブルにも、破綻の影が色濃くなってきた時代。

膨張しきった経済の上に、街は、かろうじてフカフカと浮かんでおりました。
人々は祭りの終わりをひしひしと感じながらも、それゆえにますます浮つこうとしておりました。
ワラワラと通りに出て、笑っておりました。
男も、女も。


さて、当時、これから遊びたい盛りの若者たちは?
そのエネルギーをどこに持っていけばいいのやら?
少し遅れたがゆえに、ますます切っ先を走ろうとして、無茶するばかり。
どう考えても、おイタが過ぎる。

いわく、それ、僕たち。



(続く)

ナチスと、居酒屋で語るの巻(結末は、ご存知のとおり)

戦争は人が死ぬものなんだ。いとも簡単に。
もちろん、僕は…。
もちろん、君は知らないだろう。酷い時代だった。こんなソーセージを見つけるより、人の死体を見つける方がた易い時代だった。
昔、お爺さんから満州の敗戦の時の地獄を聞いたことがあります。
私が一番仲が良かった近所の友達は、木の枝に引っかかって死んでいた、爆風に吹き飛ばされて。少し前まで一緒に遊んでいたんだよ。
少し、前まで…。
私の担任をしていた女性教師は、戦後の混乱期に溝から死体が引き上げられた。今思えば、レイプもされていたのだろう。きれいで信心深い人だったのに。
ソ連兵やアメリカ兵による陵辱は、東北アジアでも起きていました。
負けたからね、戦争に。
辛い時代だったんですね。

辛い時代?

男はハッと、少し驚いたような表情を浮かべました。
僕は、彼の突然の沈黙に、何か失言をしてしまったかと思い、次の言葉が継げなくなってしまいました。

自分と縁のあった人たちの、無残な死体が転がる時代。
辛い時代、そのものではないのか?

彼は今や細い唇を真一文字に結んで、葡萄棚の上の夜空を、遠く透かすように見上げていました。
僕は固唾を呑んで、彼の次の言葉を待ちました。


離れの建物から、奥さんの笑い声が聞こえました。
やがて戸口に、彼女のスラリとした影が現れ、奥の店員と別れの挨拶をしているようでした。

Gute Nacht. (グーテ・ナハト)!



私は、ヒットラー・ユーゲントに入っていたんだ。
エッ?
こんな半ズボンのときにね。

ふっと見やると、彼は柔和に笑っていました。
まるでその告白が楽しくてしょうがないとでもいうように。
目元に皺を寄せ、口元には意地悪な少年のような微笑さえ浮かべ。
僕は告白の内容と、屈託のない笑顔の取り合わせに驚いて、虚を突かれたように、ますます黙り込んでいました。


これからどこに行くんだ?
ミュンヘンに行きます。
フランクフルトに寄る機会はないのかな?
そこの空港から日本に帰ります。
何日後?
3日後くらいだと思います。

彼はニコリと笑って、手帳を一枚破くと、電話番号と住所を書き付け、自分の手元に握らせるように渡してくれました。
もしたち寄れるようなら、前日でもいいから、こちらに連絡をしてくれ。私はそこに住んでいる。私たちは明日にも戻る。
フランクフルト市街の、彼の住居の連絡先。

奥さんが満面の笑みを湛えて、テーブルに戻ってきました。
さあ、行きましょうと促すようにするので、自分の分を慌てて払おうとすると、もう済んだと手を振って答える。
すっかり恐縮している自分を、改めて奥さんに紹介するように、彼は言いました。
ドイツのマンションにも来てもらうよ。
もう、決め付けているかのように。

奥さんは、あら、と笑みをますます柔らかにして、僕に尋ねてきました。
レバーや血入りのソーセージ、食べられるかしら?




ええ、もちろん。大好きです。




フランクフルトの街が一望できる高層マンション。
僕は、ウィーンのホイリゲのよりもはるかに美味な、奥さんの手料理を楽しんでいました。
男は、ヒットラー・ユーゲント時代のバッチや小旗、制服を着た当時の写真などを取り出してきて、見せてくれました。
ヒットラーが生きた時代に作られた、歴史を刻印する鍵十時。
しかし、それを紹介する男の顔は、自分の秘密のおもちゃ箱の中を自慢しているような少年のそれで、歴史性とそこからくる苦渋からは程遠いところにありました。
戦後ドイツの決着の仕方から、ステレオタイプな葛藤や苦悩をイメージしていた僕は、彼の紹介にいちいち驚嘆し、感心してみせながら、心の底では戸惑っていました。
彼はそんなことを知るゆえもなく、奥さんの手料理とワインに酔い、僕に語りながら、実は遠い日の自分にこそ語りかけているようにも思えました。



日本に帰った僕はお礼の手紙と、雪舟のリトグラフの掛け軸を送りました。
彼らからも応答があって、やりとりは数回続きました。
しかし、徐々にその間隔も開いていき、フランクフルトで約束した夫妻の日本訪問の話も進展せず、やがて、書簡のやりとりは途絶えてしまったのです。



それから、数年の時が流れました。

アメリカはテロの報復として、アフガニスタン、続いてイラクに戦争を仕掛けました。
一時は勝利宣言まで謳われましたが、その後の自爆テロなどの策動に、いまだに足を取られています。
当時の最高司令官として、瓦礫の上でスピーチしたブッシュ大統領は、歴史的に不名誉な大統領の烙印を捺され、共和党は選挙で大敗しました。
2003年から開始されたイラク戦争から3年間で、イラクで亡くなられた方は65万5千人と言われています…。



2008年、盛夏。
一通のエアメールが手元に届きました。
貼られた付箋には、数年前まで済んでいたマンションがあて先にされていたので、不在扱いとして、数ヶ月間、局に保管されていた旨が記されています。
女性による、たどたどしい英語で書かれた手紙を、僕は少し怪訝に開けてみました。

そこには、あの初老の老人の死を伝える、奥さまからの手紙が入っていました。
書かれた内容は簡素極まりなく、彼が2007年に死んだこと、彼が僕の送った掛け軸を気に入ってくれていたことと、そのお礼が、数行で記されていました。
僕はセミの鳴き声の中で立ちすくみ、男の鷲のような鋭い眼光と、屈託のない笑顔を同時に思い出していました。
また、奥さまが干していった、ホイリゲのテーブルに並べられた、ワイングラスの連なりも。


彼女の簡素な手紙の最後は、こう結ばれていました。






ウィーンにて。

ナチスと、居酒屋で語るの巻(夜会は転ぶ)

彼と僕は、話し始めてすぐに共通点を見出しました。
時期は大きくすれ違っていましたが、同じ企業で働いていたのです。
彼はずいぶん前にそこから離れて、母国の自動車メーカーの戦略室に移り、相応の成功を勝ち得たようです。
それで、こんなに綺麗な奥さまを…。
彼女は、その美しい顔に穏やかな笑みを湛えて、しかし、僕と初老の男の倍のペースで、ブクブクと泡立つワインの原酒を飲み干していきました。

互いの自己紹介でひとしきり盛り上がり、やがてテーブルには自然な笑いも漏れるようになりました。
歳が離れた二人ながら、年老いた男が初婚であり、はるかに若い奥さんが二度目の結婚であること、ウィーンに別荘を買ったのは奥さんの進言で、男の側は音楽にはまるで興味がないこと、奥さんの父は彫刻家であること、彼が初めて日本に来たときに一番ショックを受けたのは、洋食屋のショーケースで、ナポリタンを巻き取ったフォークが宙に浮いていたこと、などなど。
僕たち三人は、何度も出会いを祝すために、グラスを上にあげては、乾杯の意を交し合いました。

濡れた草の匂いの混じった秋風が通る、葡萄棚の下の夜会。
眼下に星のように古都の灯りは輝き、柔らかい夜の空気を振るわせて、遠く教会の鐘も聞こえてくる。
しかし、僕たち以外に、ホイリゲに入ってくるものはおりませんでした。
それどころか、ボイリゲの店主や従業員たちの存在も、まったく感じられないのです。
僕たちは笑いあいながら、ますます孤独になり、その分肩を寄せ合っているようにも思えました。
激しく流転する世界から遠く離れた岸辺にうち揚げられた、難破者同士の夜会。
その波打ち際で、僕たちは飲み、笑い、酔い、語り続けていました。

しかし、不自然だな。
僕は笑い楽しむ一方で、彼の青い瞳の動きを、時に盗み見ていました。
彼はテロを一度も語らない。
わざわざ見知らぬ男をテーブルに招きながら、直前に起きた世界史的な事件に、まるで触れてこない。
僕は直前にニューヨークに立ち寄ったことも告げたはずだ。
そのとき、彼の碧眼の中に走る、光の一閃を僕は見た。
あの反応を見て、彼がそのことにまったく興味がないとは思えない。
何故だ?

僕は、道中散々見知らぬ人と話した、その話題を胸の奥にしまいこみ、それをごまかすためにも、ますます笑っていなければならない心境になっていました。
そして、あるときから、彼の笑いも、同じところから発しているように思えてきました。
二人の男が静かにけん制し合っていることをよそに、美しい奥方だけは、静かな微笑みを湛えながら、我らの到底追いつけないペースで、黙々と杯を干していくのでした。

気がつくと、夜は随分と深まっていました。
私たちは、何杯のワインを空けたのでしょう。
ウィーンの市街のホテルへ路面電車で帰るには、そろそろお暇を意識する時間が近づきつつありました。
彼も随分と酔っているようで、耳と鼻の先まで赤らめていました。
僕もぐるぐると廻る意識の中で、何とか時間だけは確かめなくてはと思い始めてました。
腕時計をしていなかった自分は、首を巡らせて、店内に時計を探しました。

11時と少しよ。
奥さんが私に語りかけました。
そろそろお店もおしまいね。
はい。
僕の電車もそろそろ無くなります。
そろそろ、行かなくては…。

ドイツ人の私と、日本人の君が、アメリカの企業を通じてつながっていた。
僕の言葉が終わらないうちに、彼は話し出しました。
私はドイツ人だ、君は日本人だ、しかし、僕らはアメリカの企業を通じてつながっていた。
同じ意味の言葉を、今度は自分と僕の交互に指さして、彼は繰り返しました。
不思議な縁ですね。
ああ、不思議な縁だ。
彼は干したグラスの淵を、爪でチンッと弾きました
その音を契機に、彼の酔いの赤みが、潮がひくように、その肌から消えていったようにも思えました。
ニューヨークにいたと言っていたね。
ハイ。一週間前に、貿易センターのすぐ足元にある中華料理で食事をしたんです。

当然の報いだ。

私は、彼の瞳の中を、とうとうまっすぐに覗き込みました。
彼の青い瞳も今は力を取り戻して、僕の視線をそらすことなく受け止めていました。

死んでいった人たちには、お悔やみ申し上げる。
しかし、アメリカが報いを受けるのは当然なんだ。

夜会の最後になって、笑いの仮面はとうとうテーブルの上に放り投げられました。
告知し続けた予言が、ようやっと現実のものになった預言者のように、彼は青白い妖気と、砂を噛むような諦念を同時にまといながら、先ほどとまったく表情を変えて、僕を見つめ返していました。
僕の仮面は?
僕は、どう仮面を脱げばいいのか?

人がたくさんビルから落ちていきました。
ああ、君もあの高さを知っているだろう?
展望台に上ったこともあります。
昔、僕のクライアントがあそこに入っていた。行きなれた場所なんだ。君が言うチャイニーズレストランも知っているよ。
一体、どのくらいの人が、あそこで亡くなったのでしょう?
戦争は人が死ぬものなんだ。半世紀前、君の国の人だって死んだだろう?僕の国でも、多くの人が死んだ。誰が殺したんだ?
主にアメリカとソ連ですね。
戦争は人が死ぬものなんだ。いとも簡単に。

戦争…?

スッと、背の高い奥さんが立ち上がりました。
ライトが遮られ、テーブルの上は一瞬、陰りを帯びました。
夫婦は少し見つめあったようにも思えました。
やがて、奥さんは踵を返すと、テラスを横切り、蛍光灯の白い光が漏れる、離れの建物に消えていきました。

ナチスと、居酒屋で語るの巻(承諾されざる世界)

プラハから、陸路、ウィーンに向かう高速鉄道。
車内の雰囲気は、雑然とした興奮に満ちていました。
昨日の事件をもって、皆が全員足並み揃えて、新世紀への橋を渡らされた
そのような共通の感覚を持ったことが、人種、老若、男女を越えて、人間という動物たちを、本能的に引き寄せ合っている気がしました。

プラハ駅のスタンドで、読めない言語のものも含めた、あらん限りの新聞を買った自分は、美しい車窓の田園風景を見ることもなく、食い入るように紙面を眺めていました。
追突から崩壊までの連続写真、ブルックリン橋を徒歩で呆然と渡るニューヨーカー、ブッシュ大統領の声明、歓喜に叫ぶイスラム圏の若者…。
途中、僕の前に座った人、横に座った人、ビュッフェで相席になった人など、さまざまな人々が、手にした紙面を見るや、自分に話しかけてきました。
不安と、本能的な興奮を呼び覚まされたことへの喜びを、ない交ぜにしながら。
もちろん、僕の席だけではない。
車内のあちらこちらで、首謀者や新しい事件の可能性や、背後の力学などが熱く語られていました。
その横を重武装した警官に連れられた、ハァハァと荒い息を吐く巨大な犬が、何度も通り過ぎていくのが、現在、自分たちが置かれた状況を強く意識させました。

ウィーンに着くや、自分は剃刀を顔にあて、タキシードを引っ張り出し、ムジークフェラインザールへと向かいました。
マーラーの‘千人のための交響曲’の演奏会を聞きに。
人類の作曲史でも、もっとも巨大な管弦楽と合唱を想定して書かれた、この誇大妄想的な作品を以って、先日のカタストロフィへの追悼にすることは、相応しいことにも思えました。
演奏会の冒頭、指揮者のウェルザー・メストは、テロの犠牲者への哀悼を述べ、プログラムにはなかった、モーツァルトの’フリーメイソンのための葬送行進曲’を特別に演奏し始めました。
フリーメイソンの会員の多くを占めるもの、貿易センターに多くひしめいていた金融系企業、そして、マーラー…。
これらが全て関与する符丁は‘ユダヤ‘です。
20世紀は、人類史上、もっとも大量な殺戮へのエネルギーが地球を覆った世紀でした。
そして、その一方の主役は、‘ユダヤ‘でした。
今回のテロの一因にも、その存在が濃密に絡み付いていることを、すでに事件からわずか数日後のその日においても、多くの人が自覚していました。
21世紀は、どうやら再びその不条理の延長から歩き出さねばならぬことも、同時に世界は自覚し始めていました。

葬送行進曲の終わりに拍手はありませんでした。
苦味と啜り泣きに満ちた金色のホールに、余韻を打ち消すように、オルガンの轟音が、響き渡ります。
‘来たれ、創造主たる聖霊よ’
楽友協会の前面を埋め尽くした合唱が冒頭のテーゼを歌いだし、あのマーラーにおいても最大の音響の渦が、不安と興奮と巨大な懐疑を奏で始めました。
20世紀でもっとも大きなエネルギーを持っていた都市ニューヨークを、20世紀、先進国の都市の中で唯一人口を減らした衰退の地、ウィーンから追悼することは、忘れ難い経験になりました。

次の日、自分は予定していた国立歌劇場での小澤征爾氏公演の観劇を辞め、ハイリゲンシュタットの丘に足を向けました。
ベートーヴェンが有名な遺書を書き、田園交響曲を書き上げた地。
僕は、ウィーンに行くと、可能な限りここに足を伸ばすのです。
そこかしこに点在するホイリゲ(ワインの原酒を飲ませてくれる、日本で言う居酒屋)で、夜風を頬に感じながら、ザワークラフトやレバーペーストやグローシャやシュニッツで、盃を傾けるのが大好きなのです(日本では付き合い程度しか飲まないくせに)。
僕は、数日間の間に自分を襲った、津波のような情報の渦から開放されて、‘旅’を取り戻したくなっていたのです、それも強烈に。


右手に美しい家並みを見ながら、小川(文字通り、本当に小さい川)を上り、少し急勾配になる畑を登って小一時間も上がっていくと、眼下にウィーンの夜景が広がる丘に出ます。
自分はそこで肺いっぱいに田園の空気を吸い込み、煌々と光りだした月の上を滑る雲を楽しみ、干草の匂いに鼻を浸していました。
ここまで逃げて初めて、世界は僕を心地よいままに一人にしてくれたようです。
グラスの中の氷をそうするように、自分は自我を胸の中で好きに転がし、肌は戦慄から離れて、夜風に滑らかにその触覚を広げていきました。

オレンジの灯りがしょんぼり点る、山の中腹のホイリゲに僕は吸い込れました。
平日の夜のせいか、同時多発テロの発生がそのような気楽さを許さなかったのか、店内は閑散としていました。
厚手の肉とザワークラフトを山盛りにして、セルフで自分のテーブルに持ち込むと、ジョッキの中で泡立つ白ワインを、自分は五臓に染み渡らせるように飲み始めました。
葡萄棚の下には無造作にランプが吊るされ、葉の合間から覗くウィーンの夜景と夜空を一番のツマミにしながら、自分はこの旅の意味を、ぼんやりと手繰り寄せようとしていました。

葡萄棚の下にいる自分から少し離れたところに、カウンターがある小屋があり、そのテラスに初老の男と、美しい婦人が座っていました。
二人は時折小声で何かを話すほかは、まるで押し黙って、静かにワインを傾けています。
親子ほども歳が離れた二人は、しかし、そのちょっとした振る舞いから、夫婦か恋人同士であることが見て取れました。
その婦人の美しいこと!
ゲルマン美人、ここに極まれりといった風情。
初老の男は、猛禽類、それも鷹のそれを思わせる鋭い眼光を、すっかり白髪になった眉毛の下に、青く光らせています。
身なりは洗練され、その面持ちには、相応に人生に勝ってきた男の、厳しさと安らぎと疲れが貼りついています。

自分は、彼らをいつの間にか、チラチラと見てしまっていました。
そして、以上に、彼らも私を見ていました。特に初老の男が。
ときに彼らは、僕を話題の肴としているようにも見えました。
ガラガラの店内を、スピーカーから流れてくるチープなシュランメル調ヴァイオリンと、葡萄の葉の影をますます濃くするオレンジの灯火と、僕ら二つのテーブルの間合いだけが満たしていました。
僕は肉を平らげてしまい、新たな盃とツマミが欲しくなっていました。
そして、僕はそれを得るためには、彼らのテラスを横切ることになる。
そのとき、彼らは、きっと僕に…。

君は日本人かな?
案の定、テラスに上った僕に、初老の男が声を掛けてきました。
若い奥方は、二人の均衡を破った、夫より自分と歳の近いアジア人を、計りかねるような目つきで見上げていました。
君は日本人かな?
ハイ、そうです。
ここには一人で来たのか?
ハイ、一人で旅をしています。仕事の帰りに。そう、一週間前にはニューヨークにいたんですよ。
初老の男は、その言葉にさして驚きもせず、薄い唇を親指でなぞりながら、青い眼光で僕を見据えていました。
もし、よかったら、こちらの席で一緒に飲まないか

もちろんです。
僕は、自分の席を移動させることを給仕に伝えようと、辺りを見回しました。
眼下に広がるウィーンの夜景は、闇の中に煌々と光り輝き、葡萄のツルに絡みついて、滴り落ちるよう。
しかし、僕はいくら探しても、僕たち以外の人の存在を、その店内に見出すことができなかったのです。

ナチスと、居酒屋で語るの巻(それは起こった)

ある仕事でニューヨークに滞在し、その後、長めのヴァケーションをGETした自分は、プラハとウィーンに足を伸ばすことにしました。
一人旅。
以前、アメリカを一人で廻ったことがあったけれど、それ以来のトライです。

最初に降り立った街、プラハは、本当に美しい街でした。
しかし、すっかりと観光地として、飼いならされつつある街でもありました。
プラハ城を一巡りしたのち、少し人ごみ離れてブドウ畑などを散策してしまうと、自分は小山を降り、カレル橋の復路を辿っていました。
美しいと思いながら、正直飽き始めてもいたのです。
あまりに額縁に収まりがよくて…。

やがて、僕は入り組んだ街に足を向け、観光ナイズされた通りの中に、歴史の重みと暗がりを感じたいと、横丁から横丁へと徘徊することにしました。
カフカやリルケを産み落とした、病んだ神経の街。
街路の石畳に、そんな声無き声を探して、僕は風光明媚な古都に、昔日の憂鬱を求める散歩を楽しもうとしたのです。

しかし、ある段階でプラハは僕を、とっぷりと疲れさせてしまった。
美しい…、それだけで十分じゃないか。
そう見切った自分は、すごい空腹を長く放っておいたことに気がつきました。
ランチを取りはぐれて、もう夕方近く。
アップダウンの多い場所を歩き回った足も、くたくたに疲れています。
しかし、中途半端な時間に、食事を求めて慌てて飛び込んでくる観光客を、多くの店はなかなか受け入れてくれませんでした。
日本のように、コンビニやマックがあるわけもなく。

狼狽した自分は慌ててヴァーツラフ広場の賑やかさにまで戻ることにしました。
テラスに眠たげな老観光客が多く座る、やはり眠たげなレストラン。
そこが、食事がOKということだったので、これ幸いと腰を落ち着けることにしました。
モサモサしたパンを、それでも腹が減っていたので、喜んで頬張っていたとき。
急に多くの人が、奥の部屋に駆け込み始めました。
そして、そこに飛び込むや一様に、Oh――!とか、Jesus!(独語系でそう言っているニュアンス)などの感嘆の声を挙げているのです。
喧嘩でも起きたのかな?
そういえば、パンが置かれて以来、随分と長く、給仕もスープを運んでこないぞ。
何が起きているか気になるし、周りの老人さえ席を立っていった。
自分も少しくらい大丈夫だろう。
そう思った自分は、BARスペースらしき、奥の間に向かう人に追従しました。

部屋の真ん中の棚には、大きなテレビが一台。
人々はそこに集まって、食い入るようにブラウン管を見つめています。
そして、そこには黒煙を吹き上げて、中腹に穴のあいた高層ビルが燃えていて…。
あれ?貿易センタービル?
わずか一週間前に、自分はその足元にあるチャイニーズレストランでディナーをしたばかり。
あの五目焼きそばがとても美味しかった店。
紹興酒で、同僚とずいぶんと酔っ払って、通りでタクシーを拾おうとした自分の直上。
ゴッサムシティーのような、重く曇った夜空に、威圧的にそびえていた巨大な二本の塔。
あれが燃えているのか?
パラパラと落ちているように見えるのは、書類?オフィス機器?
いや、人じゃないのか?
今、落ちたのは人だぞ・・・?

目の前のスペクタルに、現実と幻視の境が危うくなるような思いを味わいながら、観光的余韻は、瞬時に消えてなくなりました。
何を話しているか分からない異国の人々たちに囲まれて、その戦慄を誰とも分かち合えない自分は、孤独に直撃されていました。
一方の頭は、この陰惨な現実は偶発的な事故なのか、故意の暴力なのか見極めるために醒めようとするのに、一方の頭は、突然雷で打たれたような孤独に激しく揺り動かされていたのです。

今、僕はここにいていいのか?
親しい人たちとはるかに離れて、遠い異国に自分は一人でいる。
彼女とは少し前にお別れしてしまった。
両親や知人にも、ヨーロッパに行くくらいの大まかなことしか伝えてはいない。
僕が今、ここにいることは、ほとんど誰もわからない。
肉親や知人の安否も分からないし、自分の安否も伝えられない。
自分の周りには、初老の外国人観光客と、少し柄の悪そうな地元の男たち。
そこに一人、アジア人として紛れ込んでいる、自分。
今、僕は、ここに、何で?

そのとき、もう一方の塔の腹に、猛スピードで影が突っ込み、赤い炎と黒い煙が吹き上がりました。
一見、平和に見えていた世界の一枚向こうには、暴力の衝動がドロドロと満ち溢れ、今まさに、その蜂の巣が突かれたのです。
やがて、パンドラの箱が開いたように、そこからは、死の羽虫が溢れ出て、全世界に散らばるに違いない。

決定的な一瞬。
2001年9月11日、今から10年近く前の、よく晴れた秋の日。
プラハで、一人。

美しき、和装のお姉さま

和装の女性。
街で歩いていて、そんな女性を見かけると思わず目が行きます。
そして、素人の眼力ながら、着物と帯のバランスや、結びなどを拝見しています。
本当に和装の女性からは気品と可憐さと、奥ゆかしい艶っぽさを感じて、うっとりしてしまいます。

自分が着物姿の女性に目を奪われてしまうのは、幼少時代からの記憶と結びついています。
うちの母親が、着付け教室を自宅の一室で開いていたのです。
夕方にもなると、和服をめした幅広い年齢層の女性が、集まってきて、家の中をポッと華やかにしてくれていました。
女性の中には、まだ子供の自分に、紙で包んだおやつをくれたり、頭を撫でて語りかけてくれる方もいました。
そんな楽しみも相まって、何となくその時間をときめきを持って、待ち受けていたものです。

その中の、二十歳くらいの、僕をよく散歩に連れて行ってくれた女性がいました。
小学校に上がる前の、お姉さんを持たなかった僕にとって、彼女との時間は、なんとも楽しい体験でした。
ときにワイワイと友達と遊んでいるところを呼び出されて、そのまま一緒にブラブラとしたこともありました。
まだ性的なものへの芽生えはまったくありませんでしたが、それでも彼女に手を握られるとドキドキとしたものです。
川縁を歩いているとき、彼女は歌を口ずさんで、そのテンポに合わせて、つないだ手を振ってくれていました。
下から見上げた彼女の後れ毛と首筋は、今でも眩しい記憶です。

最近、母親にその甘い思い出を語る機会がありました。
ところが、母親、たちまち暗い顔に。
ん?と思って少し掘り下げたところ…。
実はその女性は、うちの父親に淡い恋心があったらしく、手紙を送りつけたり、お菓子を作って持ってきたり…。
色々とアプローチがあったようなのです。
肉親ではありますが、確かに30代の頃の父親は、なかなかの男前であったりしたので。

母親は生徒さんでもあるので、あまりピシャリとは言えなかったようなのですが、見かねた父親が、はっきりとお断りの意を伝えたことで、丸くは収まったようです。
しかし、彼女は以来僕の家に通ってこなくなってしまいました。
そういえば、自分の中にも、散歩のときに、落涙する彼女の記憶があります。
意味がよくわからなかったので、記憶の隅に消えかけていましたが、母の話を聞いて思い出しました。
多分、彼女にとっても、かなわぬ思いに胸を焼く瞬間が、多々あったと思うのです。

20歳くらいの、大人になりかけながら、大人になりきれない、危うい年頃に彼女は立っていたのでしょう(30年くらい前の20歳は、現在(いま)の20歳とは、成熟度が全然違うと思います)。
燃えるような夕焼けの散歩道に佇み、僕の手を握って泣いていた和服姿の女性。
その記憶は、怪しく僕の心に刺さって、街行く和装の女性を、僕は今でも目で追ってしまうのです。

取っ組み合い

僕は格闘技をしています。
この頃、少しご無沙汰で、ちょっと心配ですが。
ブラジリアン柔術という競技で、関節や首などを絞めたり、極めたりして一本を取ったり、ポジショニングを有利に展開してポイント勝ちを狙います。
僕は、UWFという格闘技プロレスから憧れが始まっているので、動きがダイナミックで一本を狙うのが好きです。
そこに自分の強みも弱みもありますw。
また、体がでかく、手足がヒョロヒョロと長いので、やはりそれは有利な点なので、活用します。

試合で味わう強烈な非日常感覚。
やはりこれが、格闘技の醍醐味の一つであることは間違いがない。
礼に始まり、礼に終わるけれど、試合のときは、ある意味骨を折られても、失神させられても、究極障害が残っても、死んでも、何も文句は言えません。
その誓約の基に、試合に向かいます。

相手から聞こえてくる荒い呼吸。
早鐘のように打つ自分の心臓の音。
道場仲間たちからの叱咤や助言が、ときに遠く、ときに近く聞こえます。
何でこんな危険な場に立ってしまったんだろう?という想いと、よしやってやる!という想いが、激しく交差します。
体力は、びっくりするくらい、急速に消耗します。
最後に頼れるのは、反復で覚えたことのみです。
時には偶然が作用しますが、基本は練習で覚えたことしか試合にはでません。

国際大会のときは、ブラジル人、ロシア人、アメリカ人などとぶつかることもあります。
体の強さ、パワー、思い切りの良さ、体臭(?)と日本人と違う獣性を感じる彼らとの試合は、また違った色の体験です。
勝ったときの感慨はひとしおかも知れない。

勝利のときは世界が味方になったように嬉しいし、敗北にまみれたときは男の根本を否定された気持ちになって、傷つきます。
いつも思うのですが、暗闇がせまった電車で帰途に着く帰り道。
勝っても負けても、いつもより風景が鮮やかに見えます。
シャワーと試合の興奮で火照った、でも歩くのも面倒なほどに疲れた体をひきずって、車内の日常的な風景を眺めること。
これも試合の、小さな楽しみです。

発端は、深い闇の中から

今、新作を鶴首して待っている監督、皆さん、どのくらいおられますか?
スピルバーグ、ザック・シュナイダー、ポール・トーマス・アンダーソン、コーエン兄弟、ガス・ヴァン・サント、ポール・バーホーベン、デヴィッド・フィンチャー、ダニー・ボイル、アン・リー、キム・ギドク、青山真治、押井守、黒沢清、曽利文彦、塚本晋也、西川美和、橋口亮輔…。
もしかしたら、音楽、文学、美術などの中で、まだまだ映画は一番、豊穣なのかもしれませんね。

自分が今、一番待っている監督は、クリストファー・ノーラン。
一昨年にダークナイトで大ブレイクしましたが、彼の作品はメジャーデビュー作のメメントから含め、全ての作品が見るに値するものと思っています。
そして、彼の新作のニュースが、そろそろ聞こえてきました。
http://cinema-blog.nifty.com/cs/catalog/cinema-blog_topics/catalog_091110001756_1.htm

その名は、『Inception』。
発端、とでも訳すのが、雰囲気として正しいのかな?
主演は、レオナルド・ディカプリオと渡辺謙!
何かが匂ってきますね。
http://www.youtube.com/watch?v=HilwtqaN4Gs

さて、今回はどのような倒錯が見られるのか?
ゴシックのように重厚な画面と物語の向こうに、人の何を炙り出そうとしているのか?
期して待ちたく思います。