人はよく独りよがりで話していることがあります。相手は自分の話していることをわかって聞いてくれているものとばかり思っていたのに、正しく伝わっていなかったという経験は誰にでもあると思います。
しかしこうした笑い話ですむことならば、別に問題はないのですが、独りよがりの認識を相手に当てはめて取り返しのつかない人間関係に至っている場合があります。
人は自分以上のものはわからないものです。人はさまざまなレベルに於いて生きています。自分の理解の範囲を超えたものはわかるはずもありません。そのため人をすべて自分の理解の範囲内で理解しようとしますから、自分の見ている相手は、あくまでもその人そのものではなく、自分が見ている人にしか過ぎません。ここのところが大切です。
その人の能力も、愛も、智恵も何より天分も、本来は自分とは全く違うものなのに、自分の理解できる範囲に押し当ててその人を判断します。
たとえ親子という近しい人間関係であっても、親は子の全てをわかっているつもりでいますが、それは自分の生きてきた経験や体験に照らして自分が理解できている範囲でしか子どもをみていないということにしか過ぎません。
確かに自分の得た体験や経験からくる認識には生きる上での大切なものがいっぱいありますが、でもそれが全てではありません。人は目には見えない縛りを受けある方向へ生きていってる人もいますし、遠回りをして自分の生きるべき処へ向かって行かざるを得ない宿命とも言うべき生き方の人もいます。
紆余曲折の生き方を経て大成した人が多いはずです。全ての人間関係において自己限定した認識で人を判断するのは間違いです。自分の認識を超えた世界へ思いを致さないと、その人の行動や生き方が理解できないことだってあるはずです。人は自分ではありません。そこの理解が不足しますと、人間関係に不要な葛藤や不調和が生まれます。