麦さんの名言
本日は麦さんの初七日だった。
カトリックの教会でのミサ。
教会での初七日は2回目。
カトリックの場合、名前は呼ばれるが、麦さん以外の人も信者で亡くなっていたりしたら、一緒に名を呼ばれる。
参列者も故人の関係者だけではない。
普通のミサと一緒に行われるから、故人と関係の無い人もいる。
今回はすべてポルトガル語だったので、正直言うと、チンプンカンプンだった。
ミサ終了後、N野さんの音頭で、ピザ屋へ行って、日本人8人で麦さんを偲んだ。
ふと、以前、麦さんにインターネット・ラジオ「ブラジル日和」 に出てもらった時に、記念に一筆書いてもらうノートを開いて、麦さんが何て書いてくれたのかを確認してみた。
そこには、麦さんの直筆でこう書かれていた。
「人と人とのふれ合いは教えられるところ、悟るところ多く尊い。
とりわけ相手が親しい間柄だとそうした点が強調される。
これは奇妙だ。
初対面の人にこそ未知のこと、気づかなかったことを教えられるはずだが、親しく、いつもつき合っている人々から深い面をよく教えられるのだ。
教えよう、教えてもらおうという意識はどちらにも毛頭ない。
こうした有難い「ただの関係」は生涯つづけていただきたいと思う。
サンパウロ市2006年1月31日
麦喜久夫」
私はそんな有難い「ただの関係」を続けさせて頂けたのだろうか?
最後の1年、反省しきりである。
そんな中、麦さんのひと言で忘れられないものがある。
「世界で一番悪い奴っていうのは、後世に影響を残した人だと思うよ。マルクスでもスターリンでも発明家でもああいった奴等は一番悪い」っていうもの。
普通、人間は「何かを残したい」と、「生きていた証明」や「偉業」を残し、それが後世に残ることを『立派』だと信じそれを夢見る。
麦さんの言い方は極論的だったかも知れないが、何となく、分かる。
たしかにマルクスが社会主義だ、資本主義だと確立しなければ、冷戦はなかったろうし、社会的混乱も少なく、世の中は、これほどまでに主義主張がなかったかも知れない。
オッペンハイマーら科学者がいなければ、原爆はできなかったかも知れない。
飛行機を発明したサントス・デュモンは飛行機の軍事転用を苦に自殺した。
こうした例から見れば、麦さんの言わんことはよく分かる。
難しい問題で、良し悪しの議論は置いたとしても、私は、こ~んな見方をする人がこの世からいなくなったということが、悲しくて、惜しまれて、仕方がない。