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脳と私

脳についての私の考え方

大学院を退学して、2年後、私は留学のための
推薦状を師にお願いしようと、手紙を出しました。

手紙は退学した後も、ときどき師に出していたのですが、
その時の返信は師の秘書さんからでした。

数日前に研究所で倒れられて、
しばらくは研究所に出てこないとのことでした。
肝炎を患ってしまったそうです。
その当時、脳の某研究所が出来て1年目くらいだったと思います。

私は秘書さんにすぐ電話したのを覚えています。
そのときに数日後に築地にある病院に診察にくることを聞き、
当日は朝から病院のロビーで先生を待っていました。

いつ来るかは聞いていなかったので、
会えるかどうかもわからないまま、5時間ほどまっていました。

午後2時前にようやく師はロビーを通りかかりました。
私が来ていたことはご存じなかったので、
とても驚き、私が来たことを喜んで下さったのが印象的でした。
診察を終え、少し立ち話をし、その日はお帰りになりました。

推薦状のことはわすれてはいなかったのですが、
その場では渡せず、
再度、体が回復して、研究所にでてくるようになったら、
お願いすることにしました。

私のアカウント名は「brainway」です。
日本語で「脳道」、これは私が考えた造語ではなく、
10年前に他界した私の尊敬する師が運営していた研究室のグループ名です。
脳道は生き方として、脳が発展していくような方向で考え、行動しましょう、と
今の時代に合わせるとそんなことだったように思います。
要は脳が発展するには偽りなく、楽しんで生活しようということだと考えています。

しばらくの間は私の文章を書く練習として、
その師との研究時代のエピソードや、
師の考え方と成功哲学の古典論との関係を私なりの解釈で
書いてみたいと思います。

ちょうど20年前の今頃の午後1時、私は初めて、その師と会うために、
研究室に行きました。時間になってもいらっしゃらず、15分くらいして、
テニスウェアでラケットをもって、戻っていらっしゃいました。
最初に話した内容は先生が関わった事故で脳の半分を失った方の
お話でした。
(その方は今も元気に私よりもアクティブに生活してらっしゃいます。)
理論物理しか勉強していなかった学生にとって、その話は衝撃的な内容でした。
すぐ先生のいらっしゃる大学院に進学したいと申し出、その夏からは、
毎週勉強会を開いて下さり、片道2時間半の通学になりました。

そのころと大学院で勉強した内容が一番濃かったように思います。
まだPCも今のように使い勝手もよくなく、
OSもUnixかDosか、メモリも4MBあれば早いほうのPCの時代であり、
アンプを始めとする電気回路は自作するのが当たり前の時代です。

今、私が仕事として行っていることの大半はこの時代に学んだことです。

大学院に入り、修士を終え、博士に入って1年目に、
ある事情から退学しました。

その2年後、師と再会したのは師の、とある出来事からでした。


"pursuit"という単語は「追求」、「計画などの実行」、「追跡」、「研究」といった意味で使われます。
"pursue"は動詞「追求する」、「続行する」、「追いかける」
I had pursued my goals with persistence.
使い勝手がよい単語なので、すぐ頭にでてくるようにしたいです。