虐待と原始反射について | 「淡路島のはいちゃんにっき」

虐待と原始反射について

原始反射残存(未統合)の理由の一つに「虐待・体罰」というのがあります。


私は以前、あるときに、目の前で子どもに対する体罰というか虐待の現場を見てしまったことがあります。

見てしまったときのショック、憤り、悲しみ、息苦しさごちゃまぜになった感情と体の感覚を忘れることが出来ません。

その子が大人になったとき、幼いときの体験であればあるほど、その記憶が残っていないこともあります。

しかし、体はすべてを記憶しています。

そして、感情は身体に(筋肉に)宿り、理性では抑えきれない感情と体の反応を引き起こすことになります。


ずっと続く心や体の不調の原因がわからずに、
退行催眠やカウンセリングで、幼いときのトラウマを思い出す方もいらっしゃいます。

頭では覚えていなくても、体で覚えている親からの虐待、体罰によって埋め込まれる信念というのは

「わたしは弱い・無力だ」

「私は価値がない」

「誰も心から信用できない」

といったものです。


こういった非合理な信念(イラショナル・ビリーフ)はココロの深い場所に住みつき、その人の人生を形作るものとなります。

体罰などの「体の記憶」は、命を守るために原始反射を引き起こし、物忘れをする、内臓の病気になる、真っ直ぐに寝られない、おねしょをする、忘れ物が多 い、腰痛を持っている、自分がなにをしたいかわからない、パニック発作、キョドる、寝られない、食べられない、など頭で変えよう変わろうとしても難しい、 生活人生に対するハードルをつくりだすことになります。


(原始反射が活性化しているからといって、虐待体罰が全ての原因ということではありません)


悲しい現実は、今この時点でも、こういった痛みや将来の重荷を受けている子どもがいるということ。

素晴らしい現実は、仮にそういった荷物を背負ったとしても、いつでも脳を育て直し、心と頭をつなぎ、ふさわしい状態にスイッチをいれるためのエクササイズと取り組みが用意されていることです。

そして、それを選ぶことができるということ。


もちろん、心と身体に傷を追った人のその重さというのは、ここで文字にして全て説明できるような簡単なものではないはずです。


僕の目標は、

虐待を受ける子どもが減ることはもちろん、受けたとしてもできるだけ早く適切な支援がうけられること、

その前に

誰でも加害者にも被害者にもなりえるという当事者意識をもち、弱さをサポートし合える社会になることです。



あの日、あのときに体罰を受けた子供さんにも、本人がこの先自分が歩む人生において、出会うかもしれない生活や人間関係のハードルを乗り越えようとしたときに、ただただ話を聴いてくれる人と必要なサポートを選べる社会になっている、ということも大切だと思うのです。

淡路島で発達支援コーチング、はいちゃんでした。