どのくらいの距離まで近づけるかは触覚による。
ぼくたちは、自分を取り巻く空間が無限に広がっているのを知っていますが、同時に自分が中心にこの世が存在している、という感覚も持ち合わせています。
この感覚が「自己認知」につながるのですが、スペシャルニーズを必要とする子どもたちの中には、この
「自己が中心に存在している」
という感覚が十分に育っていない場合があります。
空間の広がりが無限であっても、生存と生活にもっとも大切なのは、手に届く範囲の近い距離にあることです。
「パーソナルスペース(個人の空間)」
と呼ばれる、自己の空間にどれくらい人が入っていくるのを許せるかという課題には、民族性もあると言われています。
(東京ではパーソナルスペースを一時的に狭くしないと通勤できませんね)
この「パーソナルスペース」というのは、感覚としての自分の空間です。
私たちが空間を認識するときに、
ー 遠いところ ー
は視覚と聴覚を使って認識します。
しかし、わたしたちが
ー 近いところ ー
を認識するときには
視覚、聴覚、体性感覚(お肌の感覚です)
を使います。
つまり、近くで人との距離感をとるときには、肌感覚が働いているのです。
日本語には
「あの人とは肌が合わない」
という言葉のあるくらいです。
肌の感覚を育てるには、
たくさん触ってあげることが大切です。
なでて、ハグして、さすって。
それは「自分がここにいる」「私は私である」など
自己理解することに繋がり、その先に他者理解があります。
自己理解 ⇒ 他者理解 の順番です。
自己理解は「自分を中心とした世界が広がっている」という身体意識の上に成り立っています。
先日連れて行ってもらった霧島・大出水の湧水
絶え間なくこんこんと清水が湧き出ています。
淡路島で発達支援コーチング、はいちゃんでした。
この感覚が「自己認知」につながるのですが、スペシャルニーズを必要とする子どもたちの中には、この
「自己が中心に存在している」
という感覚が十分に育っていない場合があります。
空間の広がりが無限であっても、生存と生活にもっとも大切なのは、手に届く範囲の近い距離にあることです。
「パーソナルスペース(個人の空間)」
と呼ばれる、自己の空間にどれくらい人が入っていくるのを許せるかという課題には、民族性もあると言われています。
(東京ではパーソナルスペースを一時的に狭くしないと通勤できませんね)
この「パーソナルスペース」というのは、感覚としての自分の空間です。
私たちが空間を認識するときに、
ー 遠いところ ー
は視覚と聴覚を使って認識します。
しかし、わたしたちが
ー 近いところ ー
を認識するときには
視覚、聴覚、体性感覚(お肌の感覚です)
を使います。
つまり、近くで人との距離感をとるときには、肌感覚が働いているのです。
日本語には
「あの人とは肌が合わない」
という言葉のあるくらいです。
肌の感覚を育てるには、
たくさん触ってあげることが大切です。
なでて、ハグして、さすって。
それは「自分がここにいる」「私は私である」など
自己理解することに繋がり、その先に他者理解があります。
自己理解 ⇒ 他者理解 の順番です。
自己理解は「自分を中心とした世界が広がっている」という身体意識の上に成り立っています。
先日連れて行ってもらった霧島・大出水の湧水
絶え間なくこんこんと清水が湧き出ています。
淡路島で発達支援コーチング、はいちゃんでした。