話すことと2歳頃の母との関係。 | 「淡路島のはいちゃんにっき」

話すことと2歳頃の母との関係。

バリ島滞在10日目。

引き続き、「言葉と手の器用さの統合」(Outline of Integration of speech and hand dexterity)クラス、 ドイツのリナータさんから学んでいます。

「淡路島のはいちゃんにっき」-WS

言葉を話すこと、手の器用さを育てることに、いかに全ての感覚(=視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚、固有受容覚、前庭覚)を総動員しているかが、わかりました。


このクラスでは、自分自身のテーマについても扱いヒーリングを行うのですが、昨日は自分自身が大きな体験しました。

手の器用さ伸ばすことをテーマにして2人でワークをしたときのことです。

マレーシアから来たレイチェルさんという方にポジティブポイント というブレインジムエクササイズをしてもらっているときに、ふと2~3歳ころの自分とつながり、とても「悲しい」気持ちがぶわーーーっと湧いて出てきたのです。

なぜかわからないけど、とても悲しい気持ちになり、涙があふれ出てきそうになるのを感じました。

レイチェルさんがあとから「お腹が大きく動き、呼吸がとても深くなっていくのが見えた」を教えて下さいましたが、このワークのあとの私の呼吸は


とても楽で深く、心地良いものでした。


2~3歳の自分については今まであまり良く覚えていなかったのですが、その頃の自分の体験(例えば親に甘えたかったのに甘えられなかった自分)が、今の自分の人間関係や感情処理に何かの影響があることを感じていました。


昨日はなぜかとても悲しい、でもそれは消して悪くない、感情を味わって、夕ご飯を食べずに寝ました。

話すこと、手の器用さをテーマにしたときに、「2-3歳の母との関係」が出てくるとは思わなかったのです。


何人かの外国人参加者の人に

「タカシのあのバランスのあとから、タカシの英語が聞き取りやすくなった」

とフィードバックをいただきました。


そういえば、日本の英語教育は今思えば本当にふざけてるなぁ。

文法がどうのとか、単語のスペルが間違っているとか、そんなことで外国人とのコミュニケーションには困りません。

それより、英語がコンプレックス担っていることが原因で、外国人に自分の思いを伝えることができない、自分から話しかけることができないことになるのが、世界へ飛び出したときにどれだけ、孤立感を味わうか、ということの方をもっと考えてほしいなと思います。


日本の英語のテストの点数が悪いからといって、その先の長い長い人生には鼻くそくらいの影響しかないよ。


開かれた世界のネットワークに参加できず、海外に目がむきにくいことの弊害は、日本という固有の文化思想から抜けだして得られる思考の豊かさ、人間との繋がりに気付けないことではないかと思います。


10日間、ほぼ日本語のない世界に飛び出して、今、思うことは、

対話とは人と人とのぶつかり合いであって、言語はその次だということです。


これは、

日本人と日本人

大人と子ども

人間と犬


みんな一緒かな。



バリ島出張中、淡路島で発達支援コーチング、はいちゃんでした。