おかしいと思ったその時に。 | 「淡路島のはいちゃんにっき」

おかしいと思ったその時に。

それはおかしい、そう思ったときに、そのときに、声をあげよう。

いざという人生の岐路に立ったときにそうできるように、日頃から言動に注意してみよう。



おかしいと感じていても、通常はほとんど声をあげないままでいるのです。



例えば、先日、ぼくがあるカフェのトイレをお借りしたときに、内側からカギがかかりませんでした。

鍵のスイッチを入れていても、扉が開いてしまうのです。

このトイレは男女共用なので、女性の方も多く利用していましたが、誰もそのことを店員さんに言うことはありませんでした。

もちろん、そのことに気づかない人もいたと思うのですが、あれれ?と思った人も多くいたと思います。

ひょっとして鍵が壊れていない?
たまたま、今閉まりにくいだけかな?

確実に壊れてしまっている、のではなくて
これ、ひょっとして壊れているんじゃないの?
そのように感じる、鍵はそんな状態でした。


しかし、鍵がかからないで用を足すときには自分はドキドキしていても、一度自分の用を足して終わってしまうと、基本的に自分が困ることはありません。


ただ自分の勘違いかも。
あとの人が困ったら、なんとかするでしょう。
こういうのは店員さんのしごとだよね。

人は、自分の「やらなかった」「いわなかった」ことを正当化するために頭のなかでいろんな言葉を話しています。

便所の鍵が壊れているかな?おかしいかな?と思っていても、自分の用が済んでしまえば、殆どの人は、声を上げません。

だって、もし自分の勘違いだったら店員さんに余計なこと言ってしまうんじゃないかな、なんて考えるのが人の脳の常ですから。


ぼくはそのこと自体を責めたり、非難したいのではありません。

人間の脳とはそういう風にできているのだと、知っておくことが大切だと思うのです。



自分らしい人生を送りたいと日頃から思っていて、

自分のやりたいことを仕事すると思っていて、

ただ、なんとなくそう思っているだけなら、別に今日の記事は役にたたないでしょう。




ただその先に行くと決めたのなら、

自分の信念に従って、自分の魂を尊重して、生きていくと決めたのなら

【本当にそうすると決めたのなら】

言い訳をする前に行動するクセを脳に刻み込んでいく必要が有る。

ただそれだけなのです。

願望実現とは「痛み」のことであると知ってほしいのです。


おかしいと自分が感じたときに、

その場で直ぐに声を上げるのは、

【痛み】を伴います。

それは、なかなか痛いですよ。



上司に、

なんかそれ違うとおもいます。

とか

大切なお客様に

その考え方って、私は同意出来ません。なぜなら・・・。

なんて、言わない方が絶対安全ですよ。


自分のやりたいこと、特に新しいことを本当にやりだしたら、それがどんなことであれ、それを批判する人は必ず現れます。

(自分を否定されている気分になるかもしれません)


今まで仲良くしてくれていた人が離れていくこともあるでしょう。

(これもけっこうきつい)

ひょっとしたら、めげそうになるくらいの痛みを味わいますよ。


決断するというのは、そういうことを引き受けると覚悟することかもしれませんね。



だから、殆どの人はそうしないのです。

自分の感じたことや信念の声を表現することよりも、痛みを避けることの方を選んでいるのです。


そうしたくなるのも人間の脳なのです。


人間の脳は、そもそも願望実現をするためにあるのではありません。

痛みを避けて、生き残ることを最優先するためにあります。


ただし、長期的に見たときに、その働きばかりを無意識で、(ぜんざいせんざい的に)使っていると、「成長しない」「避ける」「麻痺させる」という選択をしつづけることになるのです。


何回もいいますけど、想ったその時に表現できないと、あきません。

願望実現とは、今、ここ、瞬間の選択の積み重ねだからです。

あとで、「実はあのとき、自分もこう考えていた」と言うことには全く何の意味もないのです。



それはおかしい、そう思ったときに、そのときに、声をあげよう。

いざというときにそうできるように、日頃から自分の言動に注意してみよう。


それを実行しだすと、本当に自分のために忠告してくれる人、叱ってくれる人がいることがどれだけ有難いことか、が身を持って分かるようになってきた私です。


淡路島で発達支援コーチング、はいちゃんでした。