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坐に琴書有らば、便ち石室丹丘を成す
僕の好きな、中国の古い言葉です。
「物欲がなくなれば世の中平和だし、そこに最高のミュージックと面白い本があれば楽園だぜ!」
ってな意味だと勝手に思ってます。
「琴書」ってのは音楽(楽器の琴ね)と読書のことで、転じて高尚な趣味ってことらしいけど、そのまま自分の趣味趣向にバッチリフィット。そうそう、暖かな午後の日差しの中、重やかなラウドロックと文庫本、そして苦みばしったインスタントコーヒーとブルボンのルマンドでもあれば・・・ボクの部屋もあっというまに石室丹丘!!
石室丹丘…言葉の意味はわからんがとにかく凄い自信だ。
なんとなく石の牢獄に囚われた感じで息苦しそうだよね。
自炊暦は10年以上になるが、料理は得意ではない。また、特に凝り性というわけでもない。料理に対する愛もない。それはボクにとって作業でしかないのだ。だかしかし、時に、たまらなくある料理を極めたくなるときがある。
かつて「オムレツ」と「炒飯」に血道を上げたことがある。
結果としては、まあまあ。「極める」には程遠いがオムレツは表面は薄皮一枚ほどに固く、中身はふわふわという程度のものなら作れるようになった。炒飯についても様々な方法論があるが、家庭の火力では茶碗一膳分くらいならパラパラで美味いもんができると学んだ。
しかし、次はハードルが高い。
「ナン」作りたくなったのだ。そう、カレーに添えられているあのナン。近くに行きつけの印度カレー屋があるんだけど、そこのナンがまあ美味い。ほんのり甘く、サクッとしていながらモチモチ。これを、このクオリティーを、家庭で作りたい・・・!
というわけで、ネットでレシピを検索し作ってみた。インド人の紹介するレシピ。正確に軽量するために測りも買った。
しかしひとえにナンといっても、結構人それぞれで材料が違う。このレシピの山から手探りで進めていくわけだ。
基本は強力粉に砂糖・塩・水を加える。それに加える材料を色々と試してみた。
強力粉に薄力粉を混ぜる方法。
ベーキングパウダーを入れる方法、その代わりにイースト菌を入れる方法。
ヨーグルトを混ぜるレシピがあれば、卵を加えるレシピもある。
どれくらい混ぜればいいのか?発酵の時間は?手を変え品を変え4、5回はトライした。納得のいくものはできずとも、少しずつ良くはなっている。最近作ったときはパタパタと生地を両手だけで伸ばし、お馴染みのあのナンの形まで作り上げることができるようになった。
あくまでも生地は。
しかし問題は焼き方であった。そこにはやはり家庭の限界が垣間見える。
フライパンを使って焼いても、あのナンの感じに全然ならない。
オーブントースターを使っても、ガスコンロに付いているグリルを使っても、タジン鍋を使っても、土鍋を使っても、あの感じにならない。予想外にもこの「焼き方」によって生地が同じでも食感や味がまったくの別物になってしまう。驚嘆すべきは小麦粉の可能性よ。
くそったれ!!と思いナンを焼くためのタンドールをネット検索してみたところ、業務用15万。1980円のタニタの計量器ですら躊躇したボクには、まさに天文学的な大金だ。
ナンだけに、ナンてこった!!!
今までで一番良くできた焼き方は、家庭用土鍋の底にナンを貼り付けてその取っ手を持ち、ひっくり返してコンロの火の上にかざすという荒業。焼きあがるまで身じろぎもしない。
その体勢でしばらく炎とナンを見つめているわけだが、とにかく熱いのだ。手が。顔が。全身が。魂が。いや、わかっていたけどもさ。汗もダクダク。ナンもぺろっと剥がれて火の上に落ちるしまつ。
どこの修行だ?これは。素人にはお薦め出来ない。
トライ・アンド・エラー。繰り返し繰り返し、生地をこねる。繰り返し繰り返し、試す。人生もナンも一緒だ。
いつか必ず、あのナンに追いつき、追い越してみたい。その先にはどんな風景が見えるのだろうか?
その風景が見えたら、あんたにも最高のナンをご馳走してやるぜ!
台所に転がっているごみ袋。ああもう溜まってやがるよ。といってもまあ半透明のビニール袋ふたつ分なんだけど。
そしておれはまたくだらない事を考え始める。
なんでまたこんなにゴミが溜まるのがはやいんだ?
恐竜が地上を闊歩していた白亜期後期、この地球上にゴミなんてたったの1ミリグラムだってなかったはずたよな。おいおい、そんな昔の事はいいんだよ。別にさ。例えばそう田舎暮らし。勝手なイメージで申し訳ないけど、田舎の農家は人糞まで肥料に使ってゴミなんてがでないような気がする。
ああなんてこった。生態系には循環の輪があり、無駄なんて何一つない。農家はその循環のおこぼれをいただいて、クリーンでエコロジカルな前時代的で近未来的生活をしてるって訳だ。
ゴミなんて燃やして灰になって、地球の循環の外側にほっぽりだされて埋められて孤独な余生だよ。ゴミにだって輪廻転生があればいい。その方が救いがあるよな。
おれはゴミの正体を探るため、ごみ袋を凝視する。するとなるほど以外だけれど、めっぽうまともな事実を発見。
ゴミはパッケージだ。
パッケージ。ラッピング。なにかを包むもの。
なにか買い物をすれば発生するビニールパック、紙の箱、袋。空き缶。流通のあらゆる場所にある段ボール、ならびにプチプチ。
AからBに運ぶ際に商品を安全かつ清潔に包み込むなにか。それがゴミだ。まじで。ペットボトルだって、コンビニの弁当箱だって。しかもなんだ、それらはだいたいが石油製品。そして石油は太古の微生物やら恐竜が長い年月をかけて変化したものなんて聞いた事がある。なんてこったい、これはたちの悪い輪廻転生ですか。だとしたらあれだよな、人類があらゆる所に埋めている、ゴミも長い年月をかけて変成し、人類の次の次くらいの文明にとっての福音になるかもしれない。
そうか、そういうことか。おれは迷わずゴミを棄てる。オーケーちゃんと分別だってする。使った後の段ボールは餃子にして食べれるようにすれば便利とか、うどん粉で作った袋があれば、使い終わって食べられるとか、そんなん思わん。だって未来の希望だから。希望は潰えないから。
諸行は無常の響きあり。無常なことはとても楽しいことで、しかもとても健康的なことだと思っているから。
次の次くらいの文明の皆さん、どうかお幸せに。核廃棄物を見つけたら逃げてください。ちゃんと危険な事がわかるように、文字じゃなく絵で描かれた看板があるらしいですよ。
エコロジカル&スタイリッシュなゴミライフを目標にゴミクズみたいなおれはこれからもせっせとゴミを棄て続けます。ビバゴミ。人類に栄光あれ。
もしも、だけど、
もし、バーン!と人差し指のピストルで撃ってくる仕草をされたとしたら、どうするだろうか?
分別ある大人の紳士であれば、うめき声をあげながら吹っ飛ばされ、大の字に倒れることだろう。あるいは、脳天を撃ち抜かれた体で目を見開きながら膝から崩れ落ちるのもいい。
それがユーモアを解する一流のジェントルメン。
ボクだって、完璧ではないにしろ、出来るだけジェントルメンでいたいし、そう心掛けている。
しかしながら、それが誰もいない廊下などであれば、吹っ飛ばされようが、奇声を上げて白目を剥こうがなにも問題はないが、オフィスの中であれば勝手は違ってくる。
実は職場にボクをピストルで撃ってくる男がひとりいる。その度にボクは殺されていた。
その日、トイレに行こうと席を立ったボクは、その途中、遠くから銃口を向けられている事に気づいた。
…狙撃!
周りには一般市民がたくさんいるってのに。まさか、ここで?
逃げる物陰もないこの状況。無慈悲にも引き金は引かれた。
バーン!
ボクは体ごと吹っ飛ばされた。
でも、もっと驚いたのはたまたまボクの後ろを歩いていていた同僚の女性であろう。
「失礼しました…。ピストルで撃たれたものでね…」
明らかに不審者!
ボールペン取って!と頼んできゅうりを渡される方がなんぼかましである。
とにかく職場はもちろん、静かな図書館やオペラを観劇してる時なんかには、人を撃っちゃいけないよね。
目を開けると、いつもの部屋だった。
いつのまに寝てしまったのか…?
朝かよ、やれやれ。今日もしみったれた仕事だぜ。
鉛のよう重い身体を起こす。
「くっ!」
鈍痛が走る。身体が…動かない。
なぜだ!?おれはどうしちまったんだ。回らない頭を必死に回転させる。微量の筋弛緩剤でも投与されたってのか。おれにいったい何が?
そうだ、あれだ。昨日のあれが原因に違いない。
ボウリング!!
何年振りなのか?5、6年はやっていない。少なくとも30代になってからは初めてだろう。
昔はボウリングをやった後に右手の握力がなくなったものだが、30代はその影響たるや圧倒的にえげつないものであった。
右手の握力はもちろん、右手全体も痛い。驚いたのは背中まで筋肉痛になったことだ。さらに、こんな筋肉使っていたのか?と思われるような臀部の筋肉までもが。
たかがボウリングで全身がボロボロだ…。
たかが3ゲーム、たかが13ポンド、たかがラウンドワン。
痛ててて…。
ちょっとした動作に自然と溢れだすうめき声。
でも楽しかったです。ちなみにスコアは1ゲーム目は80、2ゲーム目は100、3ゲーム目は130くらいでした。ボクにしては頑張った方です。
てか、運動不足どうにかしなきゃなあ。
街を歩いていて、花屋さんの前を通った。何気無く視線を店内に向けると、そこには考えられない光景が…。
誰もいない店内。奥まった所にレジ。そこには中年女性が2人。
2人はオカリナを吹いていた!
あまりにシュールなその光景にボクは絶句した。
誰が…誰があの店に足を踏み入れられるというのか!?
ゴキブリホイホイを仕掛ける、そこらじゅうに何個も。
で、一週間後くらいに恐る恐る中を確認・・・。
けど、何個確認しても、一匹だっていない。
そんなとき、どう思うだろう?
有名な話。コップに半分の水が入っている。
「もう半分しかない・・・」
「まだ半分もある!!」
靴のセールスマンが新大陸に上陸。そこの人たちはみんな裸足で生活していた
「こりゃあ、見込みなしだな・・・」
「素晴らしい可能性を秘めたマーケットだ!!」
さて、問題はゴキブリホイホイだ。
「ああ、せっかく仕掛けたのに意味なかったな・・・」
「やった、ゴキブリなんてそれほどいないんだ!!」
なんちゅうか、ゴキブリいない!ってさ、プラス思考というより能天気というかなんというか。それにしたって、落ち込むってのもね。
正解がわからない。もし仮にホントにゴキブリが捕獲できていたって、喜んでいいのか、悲しんでいいのか・・・。
どっちを選ぶか。それは個人の自由なんだろうな。
自分を取り巻く世界がとてもじゃないが変えられなくて、不自由にまみれていても、それをどう捉えるかはどこまでも自由なんだから。
それはまあ、遠くまで広がる地平線とか、風まかせの雲みたいに。
だったら、どっちにしたって間違いじゃないなら、うじうじ考えないで能天気にいきたいもんだね。


