『10分先の未来。5分前の過去』

『10分先の未来。5分前の過去』

ある世界の片隅から小声で囁く。

Amebaでブログを始めよう!

誰かと、より親密になっていく上で見せる、

自分の弱さみたいなものは、

ある意味で感謝の意を相手に示すような意味合いもあるようにも思う。

 

もちろん循環した関係性であるからこそ

生み出すことであって

偏ってちゃダメだと思う。

 

そういう関係性って強がりの人にとって

とても貴重で、

互いの成長にも繋がっていく。

 

求め合う関係より

循環する関係は

未知なる自分たちを見せてくれる。

 

ぼくはそういう人に出会えて

全く知らない自分を知った。

時に恥ずかしかったりもしたけど

もっと自分を知る上で

他者の力を借りるのは悪いことでは無い。

 

 

10年くらい前に

よく連(つる)んでた友人から連絡があり

仕事をくれた。

声をかけてくれて有り難い。

 

昔は映画や音楽の話しを延々した。

 

今や共にいい年齢。

家庭を持ったり、職場での立場が変わって

忙しくなったりもする。

でも、話し出すと昔のまま。

 

変わった人間が

変わらず、変わった人間で居てくれることが

ぼくはとても嬉しい。

 

"我が道"をゆく人間が大好きだからだ。

 

俗に"変わった人"って言われる人には

"ピュア"な人が多いと感じる。

世間に揉まれ、社会の波に乗りつつも

ピュアであり続けるというのは

実は簡単なことでは無いと思う。

 

自分なりのアンテナで物事をキャッチし

自分なりに解釈して話す。

大人になってくると

それが出来なくなってくる人も多いからね。

 

"老い"をネガティブなイメージで取る人も多いけど

"熟成"でもあるし、老いてこそフレッシュさを

存分に発揮できるんじゃ無いかと思う。

 

なんの話しだか分からなくなったけど

昔と変わらず接する事ができる

楽しい友人がいてくれることを誇りに思う。

 

感謝。

 

 

 

 

 

 

 

パスワードを忘れたり

ログインできたり、できなかったりで

すっかり放置してたブログ。

 

今入って見ると、約3年前の記事が!

こうなるとなんだか別人が書いたような

遠い遠い自分を見るようで

とても恥ずかしい…。

随分と肩に力が入ってるなあって。

 

そんな置き去りにしたあの頃の自分と

今の自分をまた繋いでみようかな…

という気持ちになりました。

 

もともといい加減で気分屋なところがあるので

始まりも終わりも気分次第。

「終わり!」と決めなくてもいいわけだし

「始めました!」って言わなくても

勝手に何かを始めちゃってたりもします。

 

意識と無意識は必ずしも一緒では無い。

無意識に決断を任せたほうが楽なときもある。

意識で調整しないと暴走することもある。

ふらふら飛んでいる旧式エンジンの飛行機みたいな私。

また操縦桿を握ってみようかな…と思った次第。

どこへ飛ぶかはわかりません。

不時着するかもわからない。

 

色々と感じたこと学んだこと、

またここに書いてみようかなと思ってます。

 

 

 

 

 

 

「また同じことを」

失敗を繰り返すことは多い。
でも成功も繰り返すことができる。
要は"どちらに重きを置くか"な気がする。
"何処に進みたいか 
どんなじぶんになりたいか"
で考えれば自ずと答えは出てくる。
あとはそれをどんどん脳に
擦り込むこと。

脳は"刺激"に弱い。
「多くの人がハミガキを欠かさないのは
ハミガキのチューブの味(刺激)
に中毒性があるからだ」
っていうような話を聞いたことがある。
体だってあんなにゴシゴシしなくても
汚れは取れる。

"体や脳 魂が何を望んで
何故それをしてるのか"
それをよく知れば
苦しみや後悔は減ると思う。
じぶんに言い訳しないほうが
ラクになりますからね。

かく言うぼくはガチャガチャが
ヤメられません。
写真は仏像シリーズ。
ムダかなあ…と思いつつ
"仏像だからいいじゃん"
っていう謎の言い訳をしてました。
わけわかんないね…。

ではまた。
ごきげんよう。

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最近"感じよう"としないし求めない。
探さない。頑張らない。
すると不思議なことに、
いまじぶんに必要な物事だけ
周りに有ることに気づく。
見えないものを見ようとしない。
見えるものだけをじっくり見つめる。
これも瞑想から得た思考だろうか。

ぼくの歩いてる道は
舗装されていないのでとても歩きにくい。取り残されてるのか
先を行ってるのかわからない。
でもぼくがつくってきた道。
誰の道でもないのが自慢です。

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最近は暑いなか
よく身体を動かし
よくアタマもつかってます。

ある福祉関係のデザインを
やってて 神戸⇄奈良 と
行ったり来たりの日々です。

そもそもデザインって
「おしゃれ」だとか「儲かる」
と言うイメージを持たれがちですが
ぼくはあまりそこを重視してません。
固定概念にとらわれず
好きなものやことを
"カタチにする"のが大好きだからです。

「素晴らしい!」と思ったことや
「素敵だなあ」と思ったこと。

そして人との出会い。

そこから素晴らしいものが
生まれると思ってます。

先月末は奈良の梅林で
"梅がり"をプロデュース&体験。

見落としがちな自然の恵みの
素晴らしさや 来てくれた
子ども達の笑顔に触れる
貴重な経験となりました。

福祉の活動のことも
追って報告するようにします。

それではまた☆

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クリストファー・ノーラン監督の
『インターステラー』を観た。

相対性理論やワームホールにブラックホール。
時間や空間 生と死 共時性(シンクロニシティ)
そして"愛"を描いた映画。
静かなトーンで一大スペクタクルではないところが大好き。
いままであたまにあった"不思議"や"関心事"が
見事に映像化され 点と点が線になる。
ぼくにとってそんな作品だった。

"静かなる神秘"という点で
『惑星ソラリス』『2001年宇宙の旅』
に匹敵するお気に入りに入った。

ノーラン氏は『インセプション』って映画では
夢の中の世界とこっちの世界を行き来する話を描いている。
次元だとか時空だとか意識下だとか
そういうテーマを好むんだろう。
バットマンシリーズでも"闇"から這い上がる主人公を描いている。

闇があってこそ光はあり 喧騒の中で答えは見出しにくいものだ。

ぼくは瞑想からいろいろなものを得るし宇宙を感じることも多い。
むかしは自らを"闇の住人"だと決めつけ 光を恐れていた。
でもそうじゃない。愛や光あってこそ人は生きている。
いまはいろんなことを感じ 感謝しながら生きている。

書きたいことはたくさんあるが きょうはこの辺で。



ずいぶん前
体調がすごく悪い中ムリして外出してました。

うぅ。。。しんどい
やはり帰らなきゃ。

そう思ってるうちにフッと倒れそうになったんです。
いかん。こんなとこで倒れては大変。

そしてまた思った。
いや、家で倒れようが ここで倒れようが同じこと。
むしろひとりの部屋で倒れるより
外のほうが誰かが手を貸してくれる可能性も高いし安心とも言える。

そんなこんなしてるうちに倒れなくて済みました。

どこに居てもじぶんはじぶん。
ここはこう。ここはこう。分け隔ててるのもじぶん。
どんな遠くに居ても地球の上。
環境は違えど結局はじぶんに変わりは無い。
いちばん安心できる場所が家だとしても
じぶんの立ってる場所が
"いまの居場所"
体調不良が教えてくれた地球の歩きかた。
そんな感じでした。

でもまあムリは禁物。
体調が悪い時はゆっくりやすみましょう。


子どもの頃 高熱を出すと同じ夢を見た。

高い円柱形の塔にある螺旋状の細い崖のような道を降りて行く。

何故だかわかんない。

何度も足を踏み外しそうになり遂には落ちる。

とそこにじぶんの倍以上もある大きなリンゴがあって それがクッションになって助かるの。

でもそれを食べろって齧らされる。

誰に言われたかはわかんない。

起きても崖の恐怖や落ちた衝撃よりリンゴの歯触りの気持ち悪さが残り

日常でも何かの拍子に思い出し不快な気持ちになった。

誰が命令したのか 何に追われて崖を降りたのか何だか嫌な気持ちだった。

いつからかその夢は見なくなり 忘れかけたけど大人になってまた思い出した。

あの嫌な歯の感触も時々思い出す。

なんだったんだろうね。

夢の中にある世界ってあるのかもしれない。

半分は脳が反復してるのかもしれないけど 生まれる前の記憶だとか どこかに繋がってるだとか

そんなのがあっても不思議じゃないよ。