みんな、ロクでもない奴だと非難する。確かにもうどうしようもない。もう娑婆に出てくる見込みはない。残りの人生は被告人として、死刑囚として生き、かつ殺されることになるだろう。起こした事件から考えれば、それでも足りないぐらいだ。
 でも、こうなってしまった心理は何となく理解できる。きっと、死刑になるのは望むところだろう。彼にとっては、これは自分を創造した神に対する復讐だ。他人にはとんでもなく迷惑な復讐だが。「エロストラート」の”俺”や、「罪と罰」のラスコーリニコフ、「地下室の手記」の”僕”、「カラマーゾフの兄弟」のイワン、「悪霊」のスタヴローキン。彼と同類の外道たちは、文学の世界では珍しくない。かれらは閉鎖された自己の内奥で、自身の存在の軽さに悩み、閉鎖された自論を成就するために行動する。その末路は排除されるか、発狂するか、衰弱するかだ。元来かれらは冷酷非情でも、愚かなわけでもない。かれらが忌まわしい結末を迎えるのは、自己存在の軽さに耐えられず、自閉したことに端を発する。
 彼女がいないこと、クビになりそうなこと、高校で成績が急降下したことは、彼にとって馬鹿馬鹿しいと切り捨てられない問題だったのだろう。それ自体が辛いというよりも、「自分は、性別が存在することも無意味な、不発弾のような汚らしいイキモノ、此の世に寄る辺なき、必要でないモノ、両親の言いなりでしか生きられなかった不能者である」と痛感させられる点で、耐え難かったのだろう。
 彼は、何も看板のない自分に「当世一の殺人鬼」という看板を与えたかったのだ。「迷惑がかかってはいけない」と思えるだけの親しい人間を持っていなかった彼は、人生を敢えて最悪の形に成就することに、抵抗を感じていなかっただろう。