双極性障害の病前気質は循環気質と言われます。
循環気質というのは、クレッチマーという学者の分類した性格分類の一種で、同調性が高く親しみやすい、陽気で活動的な躁の状態と憂鬱で優柔不断な鬱の状態との間で気分が変動したり、一方に傾いたりする気質を指します。また、肥満体型が多いとされていて、このへんも僕にピッタリです。
自分の性質を振り返ってみると、循環気質の人には、瞬間的な集中力と、飽きっぽさが同居しているとは思いませんか?どうですか?循環気質のみなさん、心当たりがありませんか?
単純に落ち込んでいる時期と楽しい時期なわけではなく、なんて言ったらいいんだろう・・・・・・。ものごとに対する関心や趣向にも極端な周期性があるのです。イメージとしては、感情、関心、趣向、欲求・・・・。あらゆる精神活動の回転軸が、バランスを崩したコマのようにぐるんぐるんとブレてしまうのです。その中で最も実生活上不便なのが感情の障害だというだけのことで、脳の活動全体が不安定になっている、そんな感じです。
僕の場合、良くも悪くも、一番目立つのは知識欲です。知的好奇心の対象が目まぐるしくもの凄い勢いでブレてしまうのです。
それなりにきっかけや動機付けはあるつもりなのですが、ある日は原子爆弾の構造と原理、およびその作製法が気になって仕方なくなって、仕事が終わるや否や、食事も風呂もそっちのけでその手の本を読みあさり、しばらくすると縄文時代の生活様式や石器の種類が知りたくて堪らなくなり、本屋で本を買いあさり、かと思うと、脳波が読めるようになりたいと思いつき、脳神経専門の医師が何日もかけてマスターする脳波の専門書を一日で読破してノートにまとめたり、膠原病の治療に関する、あるテーマについて、何十冊ものカルテを一日で整理してみたり、かと思うと、キリスト教徒のくせに何を思ったか、般若心経を丸暗記して、風呂で大声で唱えて近所から苦情がきたり・・・・。あとから自分のやったことを振り返ると、なんであんな馬鹿なことに凝ってたのか困惑します。そして問題は、他のものに興味の対象が移っていってしまうのを自分で抑制できないことです。
なにせ、もの凄い勢いで知識を吸収しますから、余程頭が良くなりそうですし、研究もはかどりそうに思うかもしれませんが、ちょうど知識が深くなり、ますます面白そうになったところで、・・・・・あれ?なんでこんなものが面白かったんだろう?と、知識欲が一挙に醒めてしまうのです。そうなると自分ではコントロールが困難で、全くやる気がしなくなってしまうのです。
僕は、経験年数から考えれば、比較的大勢の膠原病の患者さんを診ていると思います。その中で生じた疑問について、自分なりに研究したいと考えることはたくさんあるのです。しかし、こう興味の対象が目まぐるしく変わってしまうと、ひとつのテーマを徹底的に掘り下げることが困難になってしまうのです。
今後、一度興味を抱いた研究テーマをどうやって継続的に深めていくことができるか、躁病的な知識欲を離れて、コンスタントな研究活動を行うことができるかが、僕にとっての最大の課題です。
循環気質というのは、クレッチマーという学者の分類した性格分類の一種で、同調性が高く親しみやすい、陽気で活動的な躁の状態と憂鬱で優柔不断な鬱の状態との間で気分が変動したり、一方に傾いたりする気質を指します。また、肥満体型が多いとされていて、このへんも僕にピッタリです。
自分の性質を振り返ってみると、循環気質の人には、瞬間的な集中力と、飽きっぽさが同居しているとは思いませんか?どうですか?循環気質のみなさん、心当たりがありませんか?
単純に落ち込んでいる時期と楽しい時期なわけではなく、なんて言ったらいいんだろう・・・・・・。ものごとに対する関心や趣向にも極端な周期性があるのです。イメージとしては、感情、関心、趣向、欲求・・・・。あらゆる精神活動の回転軸が、バランスを崩したコマのようにぐるんぐるんとブレてしまうのです。その中で最も実生活上不便なのが感情の障害だというだけのことで、脳の活動全体が不安定になっている、そんな感じです。
僕の場合、良くも悪くも、一番目立つのは知識欲です。知的好奇心の対象が目まぐるしくもの凄い勢いでブレてしまうのです。
それなりにきっかけや動機付けはあるつもりなのですが、ある日は原子爆弾の構造と原理、およびその作製法が気になって仕方なくなって、仕事が終わるや否や、食事も風呂もそっちのけでその手の本を読みあさり、しばらくすると縄文時代の生活様式や石器の種類が知りたくて堪らなくなり、本屋で本を買いあさり、かと思うと、脳波が読めるようになりたいと思いつき、脳神経専門の医師が何日もかけてマスターする脳波の専門書を一日で読破してノートにまとめたり、膠原病の治療に関する、あるテーマについて、何十冊ものカルテを一日で整理してみたり、かと思うと、キリスト教徒のくせに何を思ったか、般若心経を丸暗記して、風呂で大声で唱えて近所から苦情がきたり・・・・。あとから自分のやったことを振り返ると、なんであんな馬鹿なことに凝ってたのか困惑します。そして問題は、他のものに興味の対象が移っていってしまうのを自分で抑制できないことです。
なにせ、もの凄い勢いで知識を吸収しますから、余程頭が良くなりそうですし、研究もはかどりそうに思うかもしれませんが、ちょうど知識が深くなり、ますます面白そうになったところで、・・・・・あれ?なんでこんなものが面白かったんだろう?と、知識欲が一挙に醒めてしまうのです。そうなると自分ではコントロールが困難で、全くやる気がしなくなってしまうのです。
僕は、経験年数から考えれば、比較的大勢の膠原病の患者さんを診ていると思います。その中で生じた疑問について、自分なりに研究したいと考えることはたくさんあるのです。しかし、こう興味の対象が目まぐるしく変わってしまうと、ひとつのテーマを徹底的に掘り下げることが困難になってしまうのです。
今後、一度興味を抱いた研究テーマをどうやって継続的に深めていくことができるか、躁病的な知識欲を離れて、コンスタントな研究活動を行うことができるかが、僕にとっての最大の課題です。