思えば、中学の頃から本格的におかしくなってきたんじゃないだろうか。
僕の中学生時代は、ひとことで言えば軽躁状態だ。まず、学校の学級委員、学級委員長、評議委員長などを歴任し、誰にでも異様にフレンドリーだった。常にクラスの中心にいたし、学業も校内で常時1番か2番であった。たまに定期テストで5番にでもなれば、ものすごく機嫌が悪くなって周りに当たり散らす。巧みに自分のクラスの友人たちの歓心を買って、学級委員の職務を全うしやすいようなクラスの空気を作り出す、といった具合だ。事実僕のクラスに限っては不登校、授業崩壊、校内暴力がなかったし、クラスのテストの平均点もトップだった。卒業旅行の場所まで僕の一存で決定したし卒業式では、生徒指導担当の教師に「3年間どうもありがとう。君が居てくれてずいぶん助けられました」と挨拶までされた。
いっぽうで、この頃から僕は乳臭さ、小便臭さを徹底的に憎悪するようになった。鉄になりたいと思った。周りの友達もそうだったのだと思う。努めてみな、子供の素顔を隠そうとした。子供の素顔のかわりに、凶悪な鉄でできた、孤高の殺人機械になったふりをするのだ。不良といわれる子供たちの最初の一歩は、そうやって始まることもあるんじゃないかと思う。だからといって僕は不良ではなかった。制服だってノーマルの学ランだった。僕は目で見える不良のポーズなんてやつは、全く中途半端だとおもった。こいつらは、今は長ランにボンタンでリーゼントだけど、価値観は一般市民の価値観とそう変わらないに違いない。時が来たら、腰の低いバイトのオニーちゃんになるんだ。不良なんてバカな話だ。そう思った僕は、わざと誰が見ても悪趣味で顔をしかめるような、本当に価値観を疑われるようなことを、あえてその不良たちの前でやってみせたりした。当時の僕の中で最も重要だったのは孤高であることだった。そして孤高であることと狂人であることは極めて近いことなのだと思い込んでいた。僕が時々やってみせるエキセントリックないたずらに、不良たちが気色悪そうに顔をしかめるのを見ては勝ち誇った気分になっていた。