小学生になってからも、学校生活はさっぱり好転しなかった。遊びに誘ってくれるクラスメートはできたが、最後はいつもケンカになった。12月生まれで体も小さかったから、腕力でも勝てなかったし、足が遅いので、いつもからかわれては逃げられた。こんな状態は小学校3年生まで続いた。
小学校3年生のクラス替えで、状況はずいぶん変わった。ツヨシは見た目はやせっぽっちだけれども、僕らの学年で一番の乱暴ものとして知られていた。運動神経はまるでチンパンジーのようで、ちょっとした足場があれば、たとえ校舎の壁であろうが、木の上だろうが、あっと言う間にするすると登ってみせた。植木のてっぺんから隣の木のてっぺんにつぎつぎと跳びうつるという、文字通りサルのような芸当もやってのけた。
そんなツヨシと僕は、はじめの数週間はケンカばかりしていたが、家がわりと近所だったせいだろうか。だんだんと打ち解けてきた。当時全盛期だったガンダムのプラモデルを一緒に組み立ててよく遊んだ。僕は作ったプラモデルは家に大切にとっておいたが、ツヨシはせっかく作り終えた自分の作品を、しょっちゅう爆竹でこっぱみじんにしていた。
そうだ。ツヨシは爆竹が大好きだった。いつもマッチをもって歩いて、学校に行く途中で、プラモデルどころか、だれかの家の前に積まれたゴミや、空き瓶や、いろんなものをふたりで爆破した。当然学校には遅刻した。気がついてみると、僕らはクラスの中で一番目と二番目の問題児になっていた。爆竹で爆破されたらたまらないので、だれも僕をいじめたりからかったりするヤツはいなくなった。僕がちょっと不利な立場になれば、頼まなくてもツヨシは相手をぶちのめしてしまった。
ツヨシの家は、いつも昼間はだれもいなかった。いつもツヨシはお母さんは用事で家にいないと言っていた。僕の家では、母が自宅でピアノを教えていたので、家に誰もいないということは少なかった。そんな僕にとっては、ツヨシの家は自由で居心地がよかった。でも、ひどい喘息持ちだったツヨシは、発作で苦しがっている時もひとりだった。
ツヨシはおなかがへると、台所に行ってパンに梅干しを塗りたくったものを食べていた。もっとおなかがへった日は、駄菓子屋で買ったベビースターにお湯をかけて、ラーメンのようにして食べていた。そんなときのツヨシは、外で威勢良く振る舞っているときとは全く違う、まるでどこかに置き去りにされた赤ん坊のようないじらしい顔をするのだ。
学校で将来の夢についてみんなで作文をしたとき、ツヨシが、「ボクはもういちど赤ん坊にもどりたいです。」と書いていたのを今でもよく憶えている。ツヨシは僕なんかよりも、もっと不幸なんだと子供心に僕は思った。ツヨシは自分の家の押し入れに入って、小さくなって寝るのが好きだった。ツヨシはそこを秘密基地と呼んで、さも大切な場所に招待するかのように、ときどき僕をそこに入れてくれた。
後日、ツヨシは地域でも有名な不良になった。中学には遅刻どころか、ほとんど登校してこなくなってしまったツヨシは、急速に僕とは疎遠になってしまった。今はどうしているのかもわからないし、あいつが僕をどう思っているかもわからないが、あいつは僕にとって、生まれて初めてお互いの弱さを分かち合った友達だった。あいつ、喘息はよくなったのだろうか。
小学校3年生のクラス替えで、状況はずいぶん変わった。ツヨシは見た目はやせっぽっちだけれども、僕らの学年で一番の乱暴ものとして知られていた。運動神経はまるでチンパンジーのようで、ちょっとした足場があれば、たとえ校舎の壁であろうが、木の上だろうが、あっと言う間にするすると登ってみせた。植木のてっぺんから隣の木のてっぺんにつぎつぎと跳びうつるという、文字通りサルのような芸当もやってのけた。
そんなツヨシと僕は、はじめの数週間はケンカばかりしていたが、家がわりと近所だったせいだろうか。だんだんと打ち解けてきた。当時全盛期だったガンダムのプラモデルを一緒に組み立ててよく遊んだ。僕は作ったプラモデルは家に大切にとっておいたが、ツヨシはせっかく作り終えた自分の作品を、しょっちゅう爆竹でこっぱみじんにしていた。
そうだ。ツヨシは爆竹が大好きだった。いつもマッチをもって歩いて、学校に行く途中で、プラモデルどころか、だれかの家の前に積まれたゴミや、空き瓶や、いろんなものをふたりで爆破した。当然学校には遅刻した。気がついてみると、僕らはクラスの中で一番目と二番目の問題児になっていた。爆竹で爆破されたらたまらないので、だれも僕をいじめたりからかったりするヤツはいなくなった。僕がちょっと不利な立場になれば、頼まなくてもツヨシは相手をぶちのめしてしまった。
ツヨシの家は、いつも昼間はだれもいなかった。いつもツヨシはお母さんは用事で家にいないと言っていた。僕の家では、母が自宅でピアノを教えていたので、家に誰もいないということは少なかった。そんな僕にとっては、ツヨシの家は自由で居心地がよかった。でも、ひどい喘息持ちだったツヨシは、発作で苦しがっている時もひとりだった。
ツヨシはおなかがへると、台所に行ってパンに梅干しを塗りたくったものを食べていた。もっとおなかがへった日は、駄菓子屋で買ったベビースターにお湯をかけて、ラーメンのようにして食べていた。そんなときのツヨシは、外で威勢良く振る舞っているときとは全く違う、まるでどこかに置き去りにされた赤ん坊のようないじらしい顔をするのだ。
学校で将来の夢についてみんなで作文をしたとき、ツヨシが、「ボクはもういちど赤ん坊にもどりたいです。」と書いていたのを今でもよく憶えている。ツヨシは僕なんかよりも、もっと不幸なんだと子供心に僕は思った。ツヨシは自分の家の押し入れに入って、小さくなって寝るのが好きだった。ツヨシはそこを秘密基地と呼んで、さも大切な場所に招待するかのように、ときどき僕をそこに入れてくれた。
後日、ツヨシは地域でも有名な不良になった。中学には遅刻どころか、ほとんど登校してこなくなってしまったツヨシは、急速に僕とは疎遠になってしまった。今はどうしているのかもわからないし、あいつが僕をどう思っているかもわからないが、あいつは僕にとって、生まれて初めてお互いの弱さを分かち合った友達だった。あいつ、喘息はよくなったのだろうか。