Back to 1992
当時障害者パンクバンドとして(KBBはバックバンドだけどね)名を馳せていたKBBfeat.つめ隊は渋谷クアトロ(写真)、そして下北沢シェルターに出演した。
その時のことを振り返ってみた。
シェルターに出演する際にその時の事務所兼撮影クルーであったヘッドオフィスから打ち合わせをしたいとの連絡があり、まだ19才そこそこの俺は大体の構成などは決まっているものと思って、初台の事務所に行った。
「えーと5月に下北沢シェルターを押さえました!」
なんと決まっていたのはワンマンで出るということだけで他には何も決まっていなかったのだ。
ワンマンということは少なくとも2時間ぐらいの演奏時間を要するはずで、つめ隊の曲は5曲しかなかった。
ヘッドオフィスはそもそも音楽事務所ではなく、ドラマなどを制作する会社で、ライヴの企画など出来るはずも無く彼らにはなす術は無かったのだった。
俺は2時間ほどで全体の構成を練り、完璧な企画書を書いた。
まず最初に前座としてKBBが演奏し、その次に障害者有志、俺とDDTによるノイズ音楽の演奏があり、最後にKBBfeat.つめ隊の演奏が行われるという3部構成にすることにした。休憩時間を間に取れば全体で2時間ぐらいになるということを計算した。
その日から数日後、スタジオでの通しリハなどを全て自分やAkiyAが仕切ってやった。
たかだか19才のガキ共を中心にいい大人たちが動いていたのは、今考えると非常におかしな話であり、貴重な経験をさせてもらったものだなあと思う。

その時のことを振り返ってみた。
シェルターに出演する際にその時の事務所兼撮影クルーであったヘッドオフィスから打ち合わせをしたいとの連絡があり、まだ19才そこそこの俺は大体の構成などは決まっているものと思って、初台の事務所に行った。
「えーと5月に下北沢シェルターを押さえました!」
なんと決まっていたのはワンマンで出るということだけで他には何も決まっていなかったのだ。
ワンマンということは少なくとも2時間ぐらいの演奏時間を要するはずで、つめ隊の曲は5曲しかなかった。
ヘッドオフィスはそもそも音楽事務所ではなく、ドラマなどを制作する会社で、ライヴの企画など出来るはずも無く彼らにはなす術は無かったのだった。
俺は2時間ほどで全体の構成を練り、完璧な企画書を書いた。
まず最初に前座としてKBBが演奏し、その次に障害者有志、俺とDDTによるノイズ音楽の演奏があり、最後にKBBfeat.つめ隊の演奏が行われるという3部構成にすることにした。休憩時間を間に取れば全体で2時間ぐらいになるということを計算した。
その日から数日後、スタジオでの通しリハなどを全て自分やAkiyAが仕切ってやった。
たかだか19才のガキ共を中心にいい大人たちが動いていたのは、今考えると非常におかしな話であり、貴重な経験をさせてもらったものだなあと思う。
