昨日は支部で「家庭ユートピア祈願大祭」が行われました。



主に心より感謝申しあげます。



昨日の祈願の中には「結婚祈願」もありました。



導師である支部長の、



「結婚祈願」という祈願の奏上が、



とても懐かしい響きを持って聞こえました。



(そう言えば、支部での結婚祈願は、

経文が昨年の今頃から、変わったのでしたよね。)



ハッピー・サイエンスにおいて、

いろいろな祈願が行われるようになってから、

私が最も集中して取り組んだ祈願は結婚祈願です。



もっとも、結婚祈願が下賜された頃は、

ハッピー・サイエンスに入会していたとはいえ、

自分のこれからの人生の在り方を模索し、確立する事で頭がいっぱいでしたので、

結婚祈願をする気持ちすら起きませんでした。



年を経るに従って、

「生涯の伴侶がいたらよいな」という想いが段々と湧き出てきました。

そして拠点や支部での祈願、精舎での祈願を重ねるようになりました。

総本山で最初に行われた出会いのための交流会や、

交流会を含めた結婚セミナーのような催しにも、何度か参加していますね。



しかし、その人にとって、もっとも、ふさわしい時期があるみたいで、



祈願後の、いきなりの奇跡なんて、起きてはくれませんでした。



ただ、



「祈願は重ねる事が大切である。」



と、いろいろな局面で言われてはおりましたので、

「これも、私にとっての修行であるな」と自分にいいきかせるしかありませんでした。



もう一つ。



一つの希望を実現させるためには、



何かを手放さなくてはいけない事もあるように感じます。


代償の法則とも教えられておりますが、私自身は、頭では解ってもなかなか体感しにくいです。



それは、

「プライド」だったり、

「こだわり」だったり、

「何かへの執着」であるように思います。



ところが、自分自身の「プライド」「こだわり」「何かに執着する事」を愛している自分もあって、

手放すどころか、そんな自分にしがみついていたりする。



そのため、

祈願は天上界に聞き届けられて、

実現への準備は整っているのに、

「すぐ側に来ている奇跡の訪れを見逃している場合も多かったな」

と今は思います。







フォークミュージシャンのイルカの初期の歌の歌詞に、



「見ようとしなければ、何も見えはしないのです。」



というのがあります。



「何かへの執着」等が、見ようとする眼差しを曇らせているのだと考えます。



それは、祈願によって希望が成就した事に限らず、



人生におけるいろいろな局面に関しても言える事ですよね。



なので、


ちょっとした奇跡を見逃さずにいたいものであると思うのです。




本日も読んでいただき、本当にありがとうございます。



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