今日の湯布院からの同時衛星配信は心に残るものとなりました。
主に心より感謝申し上げます。
質疑応答の時間においては、「2人で1人のバロム1質問」もなく、新たなる学びを得たように思います。
話は変わって、
6月10日に一人暮らしの法友の方から電話がありました。
親戚が入院したので、お見舞いに伺いたいのだが、入院先である大学病院の場所がよく解らないので、乗せて行ってくれないかということなのでした。
法友のお住まいは、我が家から車で1時間20分ぐらいありました。
また、私もその大学病院には一度も行った事がないので、検索して大よその到着時刻を想定しました。
第2土曜日で会社も休みでしたので、昨日11日、法友とその妹さんの2人を乗せて、遠くの病院まで赴きました。
法友のTさんは89歳、妹さんも80代で一人暮らしですね。
手術して入院されたのは、その妹さんの亡くなられたご主人の弟さんの奥様ですね。
法友のTさんは、
「妹は信仰心がないからと言って信者になろうとしない。」
と私と会うたびに口にされていました。
以前、そのTさんの妹さんが、病気平癒祈願を受けたいとの希望があり、祈願の日に拠点まで2人をお連れした事がありました。
それも含めて何度か妹さんとも面識がありました。
今回、病院に向かう車中においても、妹さんは、
「私は姉さんと違って信仰心がないから」と述べられていましたね。
大学病院に予定より早く到着。
お見舞いは無事終わりました。
お見舞いの帰りに、Tさんが基幹支部によってみたいとの事でしたので、お連れしました。
Tさんが高齢で一人暮らしと言う事もあり、地区内の数人でフォローしているのですが、基幹支部が支部精舎になってからは、参拝したことがなかったそうです。
基幹支部に到着。
支部長はいたのですが、駅前説法の段取りで忙しくて申し訳ないがお話をしている時間が無いとの事でした。
そこで、取りあえず礼拝室に入って、降魔型エル・カンターレ像の説明とかをして見ました。
降魔型エル・カンターレ像の隣の台においてあった正心法語が目に入りました。
私
「今日まで、多少の病気をしながらも、なんとか元気で生きてこられたのは、
あの時の病気平癒祈願のおかげだと思ったことはないでしょうか。」
妹さん
「はい、そう思います。大川先生のおかげだと思っています。」
私
「おお、そうですか。」
「お姉さんみたいに熱心な人は、この4冊の経典を頂いて毎日お祈りしていますが、
○○さんも、大川先生とおっしゃるなら、入会されてこの経典を1冊いただいてお祈りしてみてはいかがですか。
全部を読まなくてもよいですがら、1日一つの経文でもよいですよ。
それも大変であれば、この中の「主エル・カンターレ」と言う言葉だけでも、毎日唱えてみるとよいですよ。」
妹さん
「エル・カンターレには、毎日お願いをしているのです。」
「姉のように熱心でなくても、その経典1冊を頂戴できるのであれば、いただきたいと思います。」
私
「それはすばらしい事です。」
今回、わかったことは、Tさんが、妹さんの言う言葉を素直に受け取って、
妹さんには、「信仰心がない。」と思っていたと言う事です。
私ら地区の法友達も、そのTさんの言葉をそのまま受け止めて、
妹さんは「信仰に対して、そんなに関心がない方なのであろうな。」と思っておりました。
でもどうやら、
病気平癒祈願をされて、お守りを頂戴して以来、
「エル・カンターレ」と言う言葉を毎日唱えていたようなのです。
「エル・カンターレ」と言う言葉を心に刻みつけることができていたのは、Tさんの日頃の教導によるものでしょう。
よく、三帰の信者さんでも、謙虚に己を省みている姿勢から「私は信仰熱心とはいえない。」という言い方をされる方もいますよね。
妹さんは、姉のような感じにはなれないと言う意味で、
「信仰心がない」と言っていたのだと思いました。
主の御名を唱えていたのは、主の御慈悲にすがりたい思いで、健康の維持をお願いされていたようでした。
正心法語の教えを繰り返して唱えているのとは異なり、ハッピー・サイエンスの基本の教えが心に刻まれていたわけではありません。
それでも、「エル・カンターレ」を唱えていた事は確かなようです。
信者さんから受け取るお話だけではわからない真相がわかり、次のステップに踏み出す事ができて本当によかったと思います。
これからは、正心法語の拝受により、毎日お祈りをされる事で、その教えが心に染み渡って行きます事を願います。
本日も読んでくださり、本当にありがとうございます。
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