神戸大学の医局人事を離れる決意を固めた僕は、玉木教授に面談を申し込んだ。
医局人事を辞めるには、けんか別れでない限りは、半年前に意思を伝えるという、暗黙の不文律があったので、最初に面談したのは、1999年の10月だったと思う。
玉木教授は、浪花節系の教授だったので、話しに行ったら、義理と人情で責め立てられた。僕も、義理と人情には弱い方だったが、意思は固かったので、わかって頂けるまで説得した。玉木教授は、35時間の手術もこなす程、ど根性もあったので、説得は何時間にも及んだが、最後は「じゃあ、考え方が変わったら、また帰ってこい。」と言ってくれた。
また、お世話になった先輩方や脳外科師匠にも意思を伝えたが、ほとんどの人はやはり反対だった。
とくに、西脇病院のO院長先生は、脳外科医としての師匠であり、今までのお礼もあって話をした。O先生は親身になって、考え直してみたらと言われたが、何枚にもおよぶ手紙を書いて、不肖の弟子を詫びた。
でもO先生は、そんな僕でも毎年9月のゴルフコンペには声をかけてくれた。
昨年9月に、久しぶりにそのゴルフコンペに参加したら、O先生は「わしも西脇病院定年退職したら、おまえと一緒にネパールで脳外科の礎でも築こうかぁ!」って言ってくれた。本気がどうかは不明だが、僕にとってはその気遣いが嬉しかった。
そしてほぼ方向性が決まってから、事後承諾として、親父にも話をすることにした。
いつも、僕が決めたことに反対してきた親父。大学進学の時は、「医者になりたい」といったら、「歯医者になれ!」と言って仕送りなしの壮絶バイト大学生活になるし、専門科を決めるときも、「脳外科医になりたい」といったら、「眼科医になれ!」と言って、いつも進路に反対してきた。でも、反対されても僕は自分の決めた道に進んできたが。
まあ、今回も反対だろうと思って話をしてみた。ネパールこども病院や資金集めの話をしたら、「良いことやないか!」って。拍子抜けした。今回が一番反対しそうだと思ったのにねえ。
そんなこんなで、今回の高麗人参果実搾り・スクイーズ2200 の件でも、一生懸命手伝ってくれている。僕の選んだ道を信頼してくれた親父のためにも、何とか成功させたいものだ。
今日の写真、「ねこのぬいぐるみを持つ入院中のこども」
スクラップブックも見に来てね!http://scrapbook.ameba.jp/brain-int_book/
人気ブログランキング
なにとぞご協力を!
読んで頂けたら、ここをクリック↓お願いしますm(_ _)m