1998年1月、AMDA兵庫の設立準備会。AMDAネパールこども病院の設立の趣旨などを聞いた後、支部立ち上げの役員を決めることとなった。
まあ、僕は初めて話を聞きに来た立場で、最初の会合だから、静かにその様子を見守った。
代表は、AMDAネパールこども病院設立準備の中心メンバー、兵庫県立こども病院の小児外科部長、M医師。僕に忘年会で声をかけてきた、その人だ。
その他、幹事、副代表、事務局長、広報局長、AMDAネパールこども病院支援室長、と決まっていった。
まあ、僕は小児脳外科医として、現地で活躍することになるのかなあ、って漠然と空想していたら、財務局長が決まらない。
財務といえば、お金集め。そんな役目は、僕は今まで商売など全く無縁だから、僕の出る幕では無いよなあ。
それでも、財務局長が決まらない。みんなが固辞していく。そりゃ、みんな現地で活躍したいよねえ。お金集めなんて、地味な仕事だし、一番大変な仕事だし。
それでも、それでも決まらない。そのうち、とりあえず名前だけでも誰かに、みたいな雰囲気になった。みんなの目がこちらに向いている。誰だ、誰だ?
決まったばかりのM代表がつるの一声、「君、財務やってくれ!」
「そんな、僕に出来ますか?」って言ったら、みんなが拍手。うーん、仕方ないなあ。
ここで、固辞していたら僕のその後の人生も違ったものになったが、頼まれると断れない性格。最初に話を聞きに来ただけのつもりが、いつのまにかお金を集めるという大役を仰せつかってしまった。(つづく)
今日の写真、「ケガをしても元気なネパールのこどもたち!」
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