忘年会でのお酒の上での口約束だったが、翌日、M先生が声をかけてきた。AMDA兵庫県支部立ち上げの準備会があるとのことで、参加するようにって。とりあえず参加して、どんなプロジェクトか、聞きたいと思った。
準備会には、10数人が集まっていたと思う。医師、看護師、薬剤師、そのほか様々な人が集っていた。
準備会に参加して、AMDAネパールこども病院の設立の経緯がわかってきた。
AMDAネパールこども病院。ネパールという国は、ヒマラヤの麓にあり、インドと中国に挟まれた山麓の国だ。首都カトマンズは古都として有名で、神々がすむという街。南には、ルンビニというお釈迦様の生誕の地がある。
当時のネパールの乳幼児死亡率は、1000人中100人。日本が4人なので、日本の25倍の死亡率ということになる。小児病院は、首都のカトマンズに1つあるのみ。だから、病気のこどもは、何十キロ、何百キロも離れたところから運ばれてくるとのこと。だから、首都周辺以外は、特に乳幼児死亡率が高いそうだ。そんなネパールの西の街、ブトワールに設立の予定と聞いた。
ネパールにこども病院をつくるろうというきっかけになったのは、当時ネパールから兵庫県立こども病院に研修に来ていたポカレル医師の夢だったという。「ネパールのこどもたちの窮状を何とかしたい。ネパールにこども病院をつくりたい。」そんな気持ちに最初に答えたのが、篠原医師。彼は、ネパールこども病院設立のために奔走し、命がけでその設立に取り組んだ人だ。夢半ばにしてこの世を去られたそうだが、その生涯については、次回詳しくお話ししたい。
そんな、こども病院構想が持ち上がった時、阪神大震災が起きた。日本全国から優しい手が差し伸べられ、医師や看護師が被災地でボランティアとして活躍した。また、世界各国からもボランティアが駆け付け、また多くの物資、資金の援助があった。
神戸には震災後たくさんの優しい気持ちが生まれた。自分たちが受けたご厚情に応えたいという気持ちが高まった。
ポカレル医師、篠原医師が描いた夢。その夢に徐々に人が集まり、AMDA(アジア医師連絡協議会)や毎日新聞社の大阪社会事業団がキャンペーンを組んだ。その結果、被災地から「震災で受けた優しい気持ちのお返しをしたい。もっと恵まれない地域にこども病院を」という趣旨にたくさんの浄財が集まったという。
そんな設立のきっかけを聞き、同じ被災者として僕も微力ながら手伝いたいと思った。良くも悪くも、すぐ熱くなるのが、僕のたちだ。(つづく)
今日の写真!(3000人目のベビー!)
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