何でか、32才でこども病院脳外科トップという大きな責任を与えらてしまった。みんなは教授のご乱心と思った。僕自身もそうだった。
何の相談もなかった。上の先輩方には、「行ってくれないか」という打診があったようだが、小児という特殊性から断る人が続出したらしい。それで、やむを得ずだったのか。
とにかく、言われたからにはやるしかない。こどもは大好きだから、こども病院で勤めること自体は嬉しいことだった。でも、名誉欲など全く無い生き方。(だから、今はボランティア中心なんだけどね。)
でも、持ち前の人なつっこさで勝負。誰とでも友達になるのは得意ですからね。医療でも、ボランティアでも、事業でも、何でも人、人、人だというのが僕の持論。とにかく、周りの部長は年上の人ばっかりだったので、何でも頼みやすく、また何でも相談に乗ってくれた。
例えば、内科的な相談は、血液内科のM先生がすべて相談に乗ってくれた。外科的な相談は、外科全員が助けてくれた。もちろん、脳外科は僕の専門だけどね。また、対人的なことは、産科のO先生、泌尿器科のT先生と、皆さん、若い医長を本当に助けてくれた。
また秘書のNさんも力になってくれた。今でもボランティアの資金集めを助けてもらっていて、「奇兵隊」の秘書役を務めてくれている。いつもの口癖だけど、本当に僕は人に恵まれている。
でも、人なつっこさ故の失敗も。最初の忘年会の失敗談。
みんなが恐れる血管外科部長のY先生。でも、僕にはすごく優しかった。それで、忘年会で横の席になり、酒の上で話をすると、またまた本当にいい人だった。その時は酒を飲まされ続け、意識も遠のきかけていた。それで、後で聞いた話によると、「いい人やなあ!」と言いながら、Y先生の首を絞めていたらしい。
「そんな事はまさかしてないだろう!」と思いきや、きっちり写真が残っていた。僕がY先生の首を絞めた武勇伝が病院中に知れ渡ってしまった。なんて大それた事を!ってみんな思ったようだ。
けど、Y先生、笑って許してくれたけどね。今となってはよい思い出だが、当時は冷や汗ものだった。
それで、別の忘年会の席で、後のAMDA兵庫代表・外科部長M医師から、ボランティアの話が切り出されることになる。(つづく)
人気ブログランキング なにとぞご協力を!
読んで頂けたら、ここをクリック ↓お願いしますm(_ _)m