震災当日午後2時頃。当直先を目指して自転車で六甲山を越えることを決意。
新神戸トンネル は自動車専用道路だ。六甲トンネルは、自転車でも通れるか。じゃあ、六甲有料道路 経由で六甲山を越えよう。
マウンテンバイクにまたがり、新神戸から東に向けて走り出した。その時は、どこが被害が大きいのかなどわからず自転車を走らせていたが、東に行けば行くほど、倒壊した家屋、マンションが多くなっていく様子がわかった。あちらこちらで火事になっていた。
電柱が道をふさいでいたり、また20㎝ぐらいの段差ができているところもあり、それをさけながら進んでいった。東に行くに連れ、ガスのにおいがするところが増えてきて気分が悪くなったが、とにかく、先に進むしかなかった。
そしてさしかかった六甲有料道路 。いつも神戸の夜景を見に行くときに使うルートで、道はよく知っていたが、車では何でもない道が、自転車だと大変急な坂だということを身をもって体感した。文字通り、心臓破り。
日頃余り乗らない自転車。お尻がヒリヒリする。股ずれも起こしてきたようだ。でも、最低の変速ギアでゆっくりゆっくり六甲山を登っていった。
高くなるに連れ、神戸の全景が見えてきた。いたるところで黒煙が上がっていた。僕の大好きな神戸がこんなになってしまうなんて・・・。大概の不幸は幸せに変えてしまう僕の性格だったが、その時は大層こころが傷んだ。
六甲トンネルを抜けた頃、あたりは暗くなり始めた。中国自動車道西宮北インター付近にある、恒生病院(地図) に着いたのは、夜7時頃だった。
病院に着いたら、恒生病院の常勤の先輩、O先生がいた。今日は当直医は来ないと思っていたらしく、当直しようと思って残っていたそうだ。僕が自転車で来たことを聞いてびっくりしていた。
二人で夜通し診療にあたった。(つづく)
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