次に転勤となった、田舎豊岡の小さな大井病院 。そこは、今までの超ハードな喧噪の日々とは一転、ゆっくりと時間が流れる医療環境だった。
豊岡といえばコウノトリ で有名なように、昔の自然を取り戻そうと無農薬農法に取り組み、懐かしいどじょっこだのふなっこだのが棲む、のんびりした環境。冬はスキーや城崎温泉、松葉ガニ、夏はホタル、パラグライダーやグラススキーと、季節を満喫できる。
豊岡の人たちは、みんなのんびり。大井病院のスタッフもほんわかの家族みたい。婦長さんは、僕にとっては但馬のおかあちゃんで、今でも知り合いの病気の相談に乗ったり、但馬に行ったら一緒に食べに行ったりする長ーいつきあい。放射線の技師長は、スキーに連れて行ってくれたり、きす釣りにくれて行ってくれた、但馬のお兄ちゃんみたいな存在。
週末ともなると、病院スタッフでよくいろんなところに一緒に食べに行った。独身で美味しい物好きだった僕は、連れ回すにはもってこいだったのだろう。民宿のかにづくし 、山菜の風穴庵 、出石そば や床瀬そば 、但馬牛 などなど。但馬のおいしい店という店を行き尽くした。
そんな、仲良し家族みたいなスタッフだったから、医療もほんわか、アットホームな医療だった。しかし、今から考えると、医療の原点に立ち返る、良い機会だったのかも知れない。
アットホームなスタッフは、患者様やその家族とも何でも相談に乗っていた。なんでも尋ねやすい雰囲気があり、親身に話を聞いてあげていた。その中から、治療にとって大切な情報がもたらされたこともあった。
その中から、自然と学んだことがある。
一つは、患者様を自分の家族と置き換えて考えて医療をすることが大事なんだなあって。「この人が僕のおばあちゃんだったら・・・」 「この人が僕の親父だったら・・・」と。(それは後に、こどもでも、また海外の恵まれないこどもたちも同じ事だと。)
もう一つは、医者は偉い神様みたいなものではなくて、医療に少し詳しいだけの単なる人で自然の中の一員。医療チームのトップではなくて医療スタッフの一員で、みんなの助け合いで医療は成り立つんだなあって。
うまくはいえないし、文字にすると恥ずかしいが、なんとなく、そんな医療が良い医療なんだなって思った豊岡での1年だった。
そんな、3年間にわたる研修期間を終えた後、小児脳外科の研究をするために、神戸大学脳神経外科大学院に入学 することになった。そして、運命のその時が少しずつ近づいてきた。(つづく)
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