はちゃめちゃ卒業旅行を終え徳島に帰ってからすぐ、小児脳外科医になるべく神戸をめざした。もちろん、入局先は、神戸大学脳神経外科教室 。研修先は、神戸大学附属病院


資金も卒業旅行などで使い果たしたので、最後は中古車を売って引っ越し資金と敷金に変えた。文字通り、ゼロからのスタートだった。


神戸で最初に借りたのは間借り。でも、研修医時代はほとんど家に帰れなかったので、荷物置き場みたいなものだった。


現在、研修医制度は、3年前からスーパーローテート制という制度に変わっていて、2年間入局先、就職先を決めずに、いろいろな施設での研修をした上で、科を決定する制度に変わっている。


僕らの時代はいきなり入局するので、途中で体力的な問題や科との性格の不一致(?)により、専門科を変える人もいる。その点、医師免許は、とってしまえば何科でもできてしまうスーパーな資格なのだ。その安易さゆえ、いろいろな科を渡り歩く人もいる。脳外科は、忙しさ故、途中で変わっていく人も多い。

神戸大学脳神経外科教室に入局した研修医は7人と、例年に比べ多かった。みんなおもしろい良いやつばっかりだったので、すぐうち解けた。


ただ、脳外科の研修医は超々ハード。朝から抄読会(興味ある論文を読んできて読み合わせをするもの)、病棟医長の早朝回診、朝夕の点滴、脳血管撮影の検査、手術の見学・助手、教授回診、3日に1回の副当直と、お互い助け合わないと仕事が終わらない。副主治医として重症患者様を受け持つと、帰れない日々が続く。といっても脳外科の手術後は重症の方が多いので、帰れない日が多かった。大学の当直室は4つのベッドがあり、いつも満室状態で、医局のソファーで寝ていた人もあった。


こどもの頃、親父に、宮大工の弟子だった時の話を聞いたことがある。外科系研修医はまさに、宮大工の弟子と同じ。外科医は、すべて先輩医師のすべてをまねることから始まり、道具の使い方を覚えていく。忙しさの中から仲間意識が芽生え、助け合うこと、共同作業を覚えていく。


手術の訓練は、最初は、ひたすら糸結び。手術場の看護婦さんから、余った糸をもらってきて、一本の糸を何回も結んで、コヨリ状態にしていく。暇があったら糸結び。当直室のベッドの柱は結んだ糸だらけ。さながら、神社やお寺のおみくじ結び状態。


最初の半年は、神戸というおしゃれな町に住んでいながら、病院に缶詰状態。楽しみといえば、先輩ドクターに夕食を食べに連れて行ってもらうこと。研修医は薄給だということを知っているので、すべておごってくれた。先輩ドクターは言う。僕らも先輩におごってもらったんだから、お返しは後輩にしてやれ」と。貧乏学生上がりの僕にはありがたい話だった。だから、後輩ドクターと食べに行くと、必ずおごる癖がついている。


そんなこんなで、同期の脳外科研修医は、助け合って辞めることもなく、一人、また一人とそれぞれの新しい勤務地に巣立っていった。なぜか、僕は翌年の3月末まで残っていたが、4月から静岡県立こども病院 へ赴任することとなり、小児脳外科医への本格的研修が始まった。つづく)

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