ポーランドから難なく旧チェコスロバキアのプラハ へ。
以前から訪ねてみたかった都市No.1で今でももう一度行ってみたい都市No,1の、プラハ 。
駅に着いて、まず泊まるところを探した。駅の案内書で、プライベートルームを探す。プライベートルームとは、個人の家の空いた部屋を借りて、家族の一員のようにお世話になるもの。安いと同時に、現地の家庭の雰囲気が味わえる。
案内所では、80才のおばあちゃんがやっているプライベートルームを紹介された。訪ねてみると、本当におばあちゃんが一人でやっていた。親しみのある、なんでも親身にして下さるおばあちゃんだった。ただ、ドイツ語しか話せない。まあ、何とかなるだろう。
おばあちゃんは、朝ご飯と同時に、お弁当を持たせてくれた。そのお弁当を持って、いざ観光へ。
プラハは中世の町並がそのまま残っていて、本当に美しい。中心広場では、有名なからくり時計 をみた。そして、カレル橋 。モルダウ川にかかるその姿は、プラハ城をバックに本当に絵になる光景だった。そして、プラハ城 。9世紀からそびえ立つお城は、カレル1世やマリアテレジア(マリーアントワネットの母)時代に改築され、いまの荘厳な風貌になったらしい。いわば、マリーアントワネットの嫁ぐ前のお家ですね。
観光をしながら、高台にのぼり、プラハの町並みを眺めながら、おばあちゃんの作ったお弁当をたべ、また観光へ。そして、夜はおばあちゃんと二人で夕食。おばあちゃんと孫のような3日間だった。
最終日、プラハの夜も見てみたいと、外で夕食を食べようと思い、おばあちゃんに片言のドイツ語で説明してみた。「今日は帰りが遅くなるから、食事は食べておいて。僕は外で食べて帰るから。」一生懸命説明して理解したようだったので、最後の観光に出かけた。
夜、町のレストランでディナーをとり、遅くに帰った。すると、おばあちゃんが家の前で立っている。寒い中を、息で手を温めながら、心配そうな顔つきで立っていた。僕の顔を見るなり、「心配したよ!でもよかった、よかった!」(といったような気がした)と。朝の説明が伝わってなかったのだ。それで、心配して、この寒空の中、家の前で待ってくれていたのだった。そのおばあちゃんの気持ちがうれしかった。同時に体の心配をした。でも風邪はひかなかったようだ。
そして、おなかいっぱいだったが、おばあちゃんのつくってくれていた夕食を頑張って食べた。せっかく作ってくれたんだから。
おはあちゃんのもてなし、気持ちがうれしくって、出発の日の朝、日本から持ってきた、おみやげらしい物を全部置いてきた。
その中に、手もみのホッカイロがあった。おばあちゃんは「コーヒーか?」と聞くから、実際に袋をあけて暖めてみた。理解してくれたようだったが、その後、大事に戸棚にしまっていたようだった。まあ、使っているうちにわかってくれるだろう。
本当に親身にしてくれたおばあちゃんだった。僕の亡くなったおばあちゃんを思い出した。今も元気でおられるだろうか。(つづく)
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